2023年11月19日 この範囲を時系列順で読む
2023年11月18日 この範囲を時系列順で読む
映画「ゴジラ-1.0」を見てきたよ
映画「ゴジラ-1.0」を見てきたよ
とにかく同監督の「アルキメデスの大戦」を見てください。まず話はそこからだ。
多分世間的には「シン・ゴジラ」なり初代ゴジラなりと比較されるんだろうけども、同じ監督のアルキメデスの大戦とかなり直接的な対になっているし、完全にメッセージ性にも通じているわけですよ。
アルキメデスの大戦は、開戦に向かう日本軍部と、それを阻止したい主人公とその挫折を描いた映画で、特に映画冒頭で描かれる海上戦描写では「人的リソースを蔑ろにする日本軍と、人的リソースをできるだけ救済する敵軍」が描かれるんですが、ここは特にゴジラ見た人なら「あー」ってなるで絶対。
あと巨大戦艦の沈没をキノコ雲に被せてるシーンは、ゴジラでもほとんど同じ構図のシーンがありましたね。そういった細かい演出も、大筋としてもアルキメデスの大戦と本作ゴジラは一直線上に繋がる兄弟作品でしょう。
おそらくは企画や制作面でも、アルキメデスの大戦で昭和中期の描写、戦闘描写なども上手くいっただろうから、ゴジラもGOが出たよなと思うくらい、やっぱりキーになってた作品だったと思います。
個人的にもアルキメデスの大戦はとても好きな映画で、原作漫画もそこから読み始めたのですが、その一方で山崎監督の特徴もやっぱりすごく強くでた映画だったのだなとも感じてまして。
というのも、山崎監督の映画に感じるものとして、登場人物については作劇のためのポジションはあっても、人物像・キャラクター像ってものがすごく薄い。ドラマを盛り上げるための摩擦や障害としてのキャラがいるだけで、人間としての生感や実感が乏しい。
その結果、原作付きだとしばしば原作のキャラ像から大きく外れてしまうことが多々ある。アルキメデスの大戦でも、主要人物たちは原作とは名前が同じだけで性格や関わり方がガラッと変わっていました。
原作では疎遠に描かれる主人公とそれを慕う女学生が、映画では普通に親しげな間柄に描かれたり、原作では静かに付き従う従者が映画では主人公の無鉄砲さを止める立場になっていたり……総じて原作ではドライな人物像・相関図が、派手な摩擦やその後のドラマ上のひっくり返しが生じやすいものになっている。
ただ、アルキメデスの大戦はそこが作品にいい風に作用してるんですよね。
特に山場である会議シーンでは、ある種ポップな人物像が作用して迷走する会議も楽しく、っていうか「そりゃ迷走もするわ」と納得もでき、会議としての無意味さが強調され、軍拡に向かう方針がいかに無為であるかのメッセージに通じていく……
会議シーンは原作にあったものですが、映画独自の演出が加わることで、よりメッセージとして強化された例だったと思います。
で、やっとゴジラの話なんですが、アルキメデスの大戦をはじめとして過去作でも見受けられる登場人物たちの「作劇としてのポジション」ぶりが、自分の中でははっきり滑ってたなって。
例えばシンゴジラでは「ドラマがない」と批判されてたけども、マイナスワンでは「ドラマのガワだけがある」という感じ。
どうにも彼らの人生や価値観みたいなものが、スクリーンの向こう側に存在する人間のものとしては考えられずに、ただただ「このドラマに必要だから、この性格だしこの言動をする」に思える。
この人だからこれをしたとか、こんなことする人なんだという感触がない……主人公もしくはドラマを盛り上げる上でこういうことする必要あるよね、と思ったことを、次々と周囲の人物がやってくれてる。とある作中の悲劇についても、「これもしかして?」という予想から外れてなくてちょっと笑った。
展開の予想がつくのは悪いことではないし、これ自体はいつもの感じとも言えるんですが、じゃあそうまでして描いたメッセージがなんだったかと思うと、「敗残兵の個人的リベンジ」に終始しているのも乗り切れないところ。
個人が先の対戦について「上層部が良くなかった。俺たちはもっとうまくやれたはず」と思う気持ちはわかっても、本当にあの戦争で思うところはそれだけだったか? と思わずにはいられない。
もし上手くやれてたら……沖縄が決戦場になることはなく、原発は落とされずに、アメリカに落とし返してた? 東アジア圏の植民地化を成功させてた? そういうこと?
ゴジラというモチーフそのものが、元々が太平洋戦争にまつわる日本人の複雑な感情と反省をベースに生まれた存在であることを思えば、同じく「敗戦の記憶」をモチーフとして再びゴジラを描くのであれば、「戦争を起こしてしまった我々」への内省や批判感情はあって然るべきだったんじゃないか。
アルキメデスの大戦では、負けが見えてる戦争に傾倒する国への嘆きが描かれていたが、そのアンサーともいえる本作でいうことが、この「もっと上手くやれたはず」なのであれば、ひどい落胆を感じずにはいられない。
ゴジラで描かれる敗残兵たちのあの行動原理とは、アルキメデスの大戦で「この戦艦があれば我々は勝てる」といって建造を強行し、そして戦争に投じた軍部側の理屈にこそ近しいものじゃないでしょうか。
同じ展開をするにしても、もっと目配せはできたんじゃないかなー。
人物配置も含めて「大きなドラマの筋のためには細かい機微が抜け落ちて、そのために大きな筋の意味合いにも変化が出る」のも、この監督の癖だったなと。ユアストーリーも、同じ結論でももっとやれたことあるだろうって思うもんな……
映像表現は間違い無く日本トップレベルのものだし、それでいて日本的な感性バッチリで構築されてる絵作りは本当に見て楽しく、ワクワクするもので、それ見るだけでも楽しい映画です。
でも、映画を観た後に「あれ、でもなあ…」立ち止まって考えてしまう、そういう小骨がもしかすると心臓にまで届くような、そういう落ち着かなさも感じる映画でした。
とにかく同監督の「アルキメデスの大戦」を見てください。まず話はそこからだ。
多分世間的には「シン・ゴジラ」なり初代ゴジラなりと比較されるんだろうけども、同じ監督のアルキメデスの大戦とかなり直接的な対になっているし、完全にメッセージ性にも通じているわけですよ。
アルキメデスの大戦は、開戦に向かう日本軍部と、それを阻止したい主人公とその挫折を描いた映画で、特に映画冒頭で描かれる海上戦描写では「人的リソースを蔑ろにする日本軍と、人的リソースをできるだけ救済する敵軍」が描かれるんですが、ここは特にゴジラ見た人なら「あー」ってなるで絶対。
あと巨大戦艦の沈没をキノコ雲に被せてるシーンは、ゴジラでもほとんど同じ構図のシーンがありましたね。そういった細かい演出も、大筋としてもアルキメデスの大戦と本作ゴジラは一直線上に繋がる兄弟作品でしょう。
おそらくは企画や制作面でも、アルキメデスの大戦で昭和中期の描写、戦闘描写なども上手くいっただろうから、ゴジラもGOが出たよなと思うくらい、やっぱりキーになってた作品だったと思います。
個人的にもアルキメデスの大戦はとても好きな映画で、原作漫画もそこから読み始めたのですが、その一方で山崎監督の特徴もやっぱりすごく強くでた映画だったのだなとも感じてまして。
というのも、山崎監督の映画に感じるものとして、登場人物については作劇のためのポジションはあっても、人物像・キャラクター像ってものがすごく薄い。ドラマを盛り上げるための摩擦や障害としてのキャラがいるだけで、人間としての生感や実感が乏しい。
その結果、原作付きだとしばしば原作のキャラ像から大きく外れてしまうことが多々ある。アルキメデスの大戦でも、主要人物たちは原作とは名前が同じだけで性格や関わり方がガラッと変わっていました。
原作では疎遠に描かれる主人公とそれを慕う女学生が、映画では普通に親しげな間柄に描かれたり、原作では静かに付き従う従者が映画では主人公の無鉄砲さを止める立場になっていたり……総じて原作ではドライな人物像・相関図が、派手な摩擦やその後のドラマ上のひっくり返しが生じやすいものになっている。
ただ、アルキメデスの大戦はそこが作品にいい風に作用してるんですよね。
特に山場である会議シーンでは、ある種ポップな人物像が作用して迷走する会議も楽しく、っていうか「そりゃ迷走もするわ」と納得もでき、会議としての無意味さが強調され、軍拡に向かう方針がいかに無為であるかのメッセージに通じていく……
会議シーンは原作にあったものですが、映画独自の演出が加わることで、よりメッセージとして強化された例だったと思います。
で、やっとゴジラの話なんですが、アルキメデスの大戦をはじめとして過去作でも見受けられる登場人物たちの「作劇としてのポジション」ぶりが、自分の中でははっきり滑ってたなって。
例えばシンゴジラでは「ドラマがない」と批判されてたけども、マイナスワンでは「ドラマのガワだけがある」という感じ。
どうにも彼らの人生や価値観みたいなものが、スクリーンの向こう側に存在する人間のものとしては考えられずに、ただただ「このドラマに必要だから、この性格だしこの言動をする」に思える。
この人だからこれをしたとか、こんなことする人なんだという感触がない……主人公もしくはドラマを盛り上げる上でこういうことする必要あるよね、と思ったことを、次々と周囲の人物がやってくれてる。とある作中の悲劇についても、「これもしかして?」という予想から外れてなくてちょっと笑った。
展開の予想がつくのは悪いことではないし、これ自体はいつもの感じとも言えるんですが、じゃあそうまでして描いたメッセージがなんだったかと思うと、「敗残兵の個人的リベンジ」に終始しているのも乗り切れないところ。
個人が先の対戦について「上層部が良くなかった。俺たちはもっとうまくやれたはず」と思う気持ちはわかっても、本当にあの戦争で思うところはそれだけだったか? と思わずにはいられない。
もし上手くやれてたら……沖縄が決戦場になることはなく、原発は落とされずに、アメリカに落とし返してた? 東アジア圏の植民地化を成功させてた? そういうこと?
ゴジラというモチーフそのものが、元々が太平洋戦争にまつわる日本人の複雑な感情と反省をベースに生まれた存在であることを思えば、同じく「敗戦の記憶」をモチーフとして再びゴジラを描くのであれば、「戦争を起こしてしまった我々」への内省や批判感情はあって然るべきだったんじゃないか。
アルキメデスの大戦では、負けが見えてる戦争に傾倒する国への嘆きが描かれていたが、そのアンサーともいえる本作でいうことが、この「もっと上手くやれたはず」なのであれば、ひどい落胆を感じずにはいられない。
ゴジラで描かれる敗残兵たちのあの行動原理とは、アルキメデスの大戦で「この戦艦があれば我々は勝てる」といって建造を強行し、そして戦争に投じた軍部側の理屈にこそ近しいものじゃないでしょうか。
同じ展開をするにしても、もっと目配せはできたんじゃないかなー。
人物配置も含めて「大きなドラマの筋のためには細かい機微が抜け落ちて、そのために大きな筋の意味合いにも変化が出る」のも、この監督の癖だったなと。ユアストーリーも、同じ結論でももっとやれたことあるだろうって思うもんな……
映像表現は間違い無く日本トップレベルのものだし、それでいて日本的な感性バッチリで構築されてる絵作りは本当に見て楽しく、ワクワクするもので、それ見るだけでも楽しい映画です。
でも、映画を観た後に「あれ、でもなあ…」立ち止まって考えてしまう、そういう小骨がもしかすると心臓にまで届くような、そういう落ち着かなさも感じる映画でした。
2023年11月17日 この範囲を時系列順で読む
風邪ひいた
風邪ひいた
久しぶりに風邪ひいてます。発熱頭痛に咳が出る〜。
だがメンタル元気で持て余してるので、体調マシな時には絵は描いてます。
自分の絵はどうにもパンチと印象が弱くてスッと流されちゃうなって自覚がずっとあって苦手だったんですが、最近また描き方を見直して少しマシになった気もする。
上達は楽しいけど、しばらくするとまたダメなとこが目について辛くなるので難儀な趣味だな。
今の書き方はどこかでまとめたい。風邪が治ったら、俺、なんかするんだ……。
久しぶりに風邪ひいてます。発熱頭痛に咳が出る〜。
だがメンタル元気で持て余してるので、体調マシな時には絵は描いてます。
自分の絵はどうにもパンチと印象が弱くてスッと流されちゃうなって自覚がずっとあって苦手だったんですが、最近また描き方を見直して少しマシになった気もする。
上達は楽しいけど、しばらくするとまたダメなとこが目について辛くなるので難儀な趣味だな。
今の書き方はどこかでまとめたい。風邪が治ったら、俺、なんかするんだ……。
2023年11月8日 この範囲を時系列順で読む
2024年の同人活動について
2024年の同人活動について
東京コミティア に2回ほどサークル参加予定です。
1年先のイベント日程出てくれるの助かる~~~~~~。サークル参加仕様とすると年単位の計画になるし、地方民としては各種予約は早ければ早いほどいいので、正確な日付出てるのほんと助かるんですよ。
近年は赤ブーもすっかり1年後の日程までだしてるし、このままコミックマーケットも……2回先の日程出してくれ……去年まではできてたじゃないか……。
「コミケなんてだいたい同じ日程だろ」とか言ってるから、いつの間にかクリスマス開催が大晦日開催になるんだよ! あと夏コミは結構日程がずれるよ!
何ができるかわからんけど頑張るよ。
#同人活動
東京コミティア に2回ほどサークル参加予定です。
- 2024/05/26 コミティア148
- 2024/11/17 コミティア150
1年先のイベント日程出てくれるの助かる~~~~~~。サークル参加仕様とすると年単位の計画になるし、地方民としては各種予約は早ければ早いほどいいので、正確な日付出てるのほんと助かるんですよ。
近年は赤ブーもすっかり1年後の日程までだしてるし、このままコミックマーケットも……2回先の日程出してくれ……去年まではできてたじゃないか……。
「コミケなんてだいたい同じ日程だろ」とか言ってるから、いつの間にかクリスマス開催が大晦日開催になるんだよ! あと夏コミは結構日程がずれるよ!
何ができるかわからんけど頑張るよ。
#同人活動
2023年11月3日 この範囲を時系列順で読む
映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」をみてきたよ
映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」をみてきたよ
本編がおよそ3時間30分あるんですけど、まー見ていてダレる瞬間がない。驚異的。
ノンフィクション小説が元になっているため、展開も事実に即してか抑揚も少なくかなり淡々と進むんですが、はっきりと「現実にある地獄のひとつ」であることが示されるためか、見ている間もつるつると飲み込めていく。
そう、地獄なんですよね。
1900年代アメリカ、迫害され白人文化への帰化が強要されつつある先住民族オセージ族の土地で、油田が発見されることから物語は始まります。オセージ族は油田からの利益を得たことで「世界最高の金持ち」と称さるまでになる。しかし、だからこそ、彼らは狙われる。
映画では原作小説から大きく構成を変えて、オセージ族を狙う白人たちの視点で終始話が進みます。
主人公は土地にやってきてすぐに、世話役で叔父の保安官から「オセージ族の女と結婚し、その財産を我らが一族に流し込め」と命じられるし、彼自身も夜道を歩いていたオセージ族から金品を強奪しては賭けに興じている。彼も彼の周囲も長年にわたってオセージ族への迫害と強奪を続けていく。強奪目当てのオセージ族の殺人には協力し、オセージ族自身が不審に思って調査を始めてもすぐに阻害する。
それでいて、主人公はしっかりオセージ族の女性と結婚するし、子供をもうけて愛情を持つまでになる。彼は妻を愛しながら、これまでオセージ族の殺人や隠ぺいに散々協力してきた人たちから渡される「薬」を与え続ける。そして、当然のように妻は弱っていく。
これは何の地獄だろうと思わずにはいられない。オセージ族からすれば同族たちが少しずつ殺されていき、白人の妻や夫さえ自分を裏切っている。不審な連続殺人事件に公権力は動かない。
淡々と、軽やかに、時にコミカルに描きますが、白人たちが先住民族に行ったことへの追及は容赦がない。クライマックスの会話シーンの顛末は切れ味にゾッとする。いやーほんとすごい。
それと個人的にちょっと思ったのは「英語とネイティブ言語の使い分け」がすごく丁寧だなと。
作中ではメインの言語である英語と、オセージ族の用いるネイティブ言語が入り混じるんですが、その使い分けがしっくりくる。オセージ族であっても英語話者とは英語で話すし、オセージ族同士だったりオセージ族が強い語調で話すときはネイティブ言語になる。白人側でもオセージ族と暮らしてるような人ならある程度まではオセージ族の言語も理解しているようでした。
これねー、最近ちょうど「ジョン・ウィック:コンセクエンス」「ザ・クリエイター」という、これはこれで「英語とネイティブ言語を使い分け」する映画を見たのでギャップを感じました。こっちの映画群、日本語も使うので特に気になったんですが、「なんでそのタイミングでネイティブになった??」と思うようなタイミングで切り替わるんですよね。
日本語話者同士の会話だけど、1語目は日本語で2語目はネイティブになるとか、英語での会話の途中で日本語しゃべって英語に戻るとか、いまいち一貫したルール性みたいなものがない。あくまでエッセンスとしてのネイティブ言語なので、別にそれ自体にあんまり意味がないんだろうなと。
で、そこへいくとフラワームーンの言語の切り分けは、自分が利く限り非常に自然で、日常にある範囲の切り分けに思えました。そういうところもモチーフとなっているオセージ族やその文化への敬意があるのかなと。
大変良い映画でしたが、余裕があればこちらのラジオ番組も聞くとより作品理解、歴史理解が深まるかも。
そもそもオセージ族が油田を見つけた土地にいたのも、すでにもともと住んでいた土地から追い出されて流れ着いた場所だとか、事件を解決に導いた操作組織も決して先住民に対して誠実な態度ではなかったことなども説明されていて、知れば知るほど本当にしんどい現実が見てくる。
それが現在のアメリカ国家の、そしてネイティブ・アメリカンたちへの理解にも通じて非常に楽しいコンテンツです。
良かったよー。
本編がおよそ3時間30分あるんですけど、まー見ていてダレる瞬間がない。驚異的。
ノンフィクション小説が元になっているため、展開も事実に即してか抑揚も少なくかなり淡々と進むんですが、はっきりと「現実にある地獄のひとつ」であることが示されるためか、見ている間もつるつると飲み込めていく。
そう、地獄なんですよね。
1900年代アメリカ、迫害され白人文化への帰化が強要されつつある先住民族オセージ族の土地で、油田が発見されることから物語は始まります。オセージ族は油田からの利益を得たことで「世界最高の金持ち」と称さるまでになる。しかし、だからこそ、彼らは狙われる。
映画では原作小説から大きく構成を変えて、オセージ族を狙う白人たちの視点で終始話が進みます。
主人公は土地にやってきてすぐに、世話役で叔父の保安官から「オセージ族の女と結婚し、その財産を我らが一族に流し込め」と命じられるし、彼自身も夜道を歩いていたオセージ族から金品を強奪しては賭けに興じている。彼も彼の周囲も長年にわたってオセージ族への迫害と強奪を続けていく。強奪目当てのオセージ族の殺人には協力し、オセージ族自身が不審に思って調査を始めてもすぐに阻害する。
それでいて、主人公はしっかりオセージ族の女性と結婚するし、子供をもうけて愛情を持つまでになる。彼は妻を愛しながら、これまでオセージ族の殺人や隠ぺいに散々協力してきた人たちから渡される「薬」を与え続ける。そして、当然のように妻は弱っていく。
これは何の地獄だろうと思わずにはいられない。オセージ族からすれば同族たちが少しずつ殺されていき、白人の妻や夫さえ自分を裏切っている。不審な連続殺人事件に公権力は動かない。
淡々と、軽やかに、時にコミカルに描きますが、白人たちが先住民族に行ったことへの追及は容赦がない。クライマックスの会話シーンの顛末は切れ味にゾッとする。いやーほんとすごい。
それと個人的にちょっと思ったのは「英語とネイティブ言語の使い分け」がすごく丁寧だなと。
作中ではメインの言語である英語と、オセージ族の用いるネイティブ言語が入り混じるんですが、その使い分けがしっくりくる。オセージ族であっても英語話者とは英語で話すし、オセージ族同士だったりオセージ族が強い語調で話すときはネイティブ言語になる。白人側でもオセージ族と暮らしてるような人ならある程度まではオセージ族の言語も理解しているようでした。
これねー、最近ちょうど「ジョン・ウィック:コンセクエンス」「ザ・クリエイター」という、これはこれで「英語とネイティブ言語を使い分け」する映画を見たのでギャップを感じました。こっちの映画群、日本語も使うので特に気になったんですが、「なんでそのタイミングでネイティブになった??」と思うようなタイミングで切り替わるんですよね。
日本語話者同士の会話だけど、1語目は日本語で2語目はネイティブになるとか、英語での会話の途中で日本語しゃべって英語に戻るとか、いまいち一貫したルール性みたいなものがない。あくまでエッセンスとしてのネイティブ言語なので、別にそれ自体にあんまり意味がないんだろうなと。
で、そこへいくとフラワームーンの言語の切り分けは、自分が利く限り非常に自然で、日常にある範囲の切り分けに思えました。そういうところもモチーフとなっているオセージ族やその文化への敬意があるのかなと。
大変良い映画でしたが、余裕があればこちらのラジオ番組も聞くとより作品理解、歴史理解が深まるかも。
そもそもオセージ族が油田を見つけた土地にいたのも、すでにもともと住んでいた土地から追い出されて流れ着いた場所だとか、事件を解決に導いた操作組織も決して先住民に対して誠実な態度ではなかったことなども説明されていて、知れば知るほど本当にしんどい現実が見てくる。
それが現在のアメリカ国家の、そしてネイティブ・アメリカンたちへの理解にも通じて非常に楽しいコンテンツです。
良かったよー。
2023年10月22日 この範囲を時系列順で読む
Switch版「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」クリア感想
Switch版「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」クリア感想
面白かったぞ〜。
公式サイト より引用
ダウンロード版のみのロープライスゲームで、クリアタイムも10時間ほど。とは言え、非常に密度の高いアドベンチャー体験ができました。
画面の気になる箇所や人物にカーソルを当てて調べていくアドベンチャー形式なんですが、この使い方がうまかったな〜。
例えば「何やら自分の背後に恐ろしいものがいるらしい」という状況に陥り、自分で振り向かないといけない……という「お化け屋敷は自分の足で歩かないといけないから怖い」を、実地で行くような演出を繰り出してくる。
まずこの「オーソドックスに見えて、なんかすごいぞ!?」と思わせる演出力がすごい。特にプロローグからのタイトルコールの流れは、一気に心が掴まれました。
そんな感じで要所要所にホラー演出はあるんですが、実はゲームのメインは「甦りの秘術」をめぐって相手の命を奪いあうバトルもの。
最近似たようなゲームやったな! 型月ゲームに馴染みある人には、ほぼほぼ聖杯戦争と思っていただいて相違ないです。
バトルは選択肢と会話の中から相手の能力を読み取り、相手の異能力をかわしつつ自分の異能力に有利な状況に導いていくというもの。見た目はただ会話してるだけなのに、一言一句見逃せない緊張感がありました。
そして何よりそんな会話を繰り出すキャラクターたちの個性が素晴らしい。
シリアスな展開が続く中で、全員にちょっとずつすっとぼけた調子があって、恐ろしい状況のはずなのに笑えてくる。漫才のような掛け合いの妙に、キャラクターたちのこと好きになっちゃうじゃんよ。
みんな刑事コンビが大好きだろうし私も大好きだが、マダムとプロタン組も相当おもろいよな!!???? プレイヤーキャラの中でも一際決意が重い組み合わせなのに、こんなに要所要所ですっ飛ばしてくるのかとゲラゲラ笑ってました。でもちゃんと重いとこもしっかりこなす、名俳優たちばっかりなんよ。それと黒鈴ミヲ中心の別シリーズも頼むわ…。
そう、そんな愉快な側面があるだけに、悲劇的な展開でドラマが光る。
江戸時代の大火や関東大震災を経た土地で、そして太平洋戦争の傷跡がまだ生々しく残る時代。オカルトをめぐる事件の根底には、人間のおぞましさと悲しみが見え隠れする。
個性豊かなキャラクターたちの視点を通じ、時に時空を超えて、甦りの秘術と七不思議に狂わされた人々の顛末を追いかけたその先に、かけがえのないゲーム体験がありました。
楽しかったな〜
面白かったぞ〜。
昭和後期の東京都墨田区を舞合に、
呪いの力を得た9人の男女が七不思議に隠された 蘇りの秘術の行使を巡って それぞれの想いをぶつけ合う、
群像ホラーミステリーADV.
最後にあなたに待ち受ける謎とは…!?
公式サイト より引用
ダウンロード版のみのロープライスゲームで、クリアタイムも10時間ほど。とは言え、非常に密度の高いアドベンチャー体験ができました。
画面の気になる箇所や人物にカーソルを当てて調べていくアドベンチャー形式なんですが、この使い方がうまかったな〜。
例えば「何やら自分の背後に恐ろしいものがいるらしい」という状況に陥り、自分で振り向かないといけない……という「お化け屋敷は自分の足で歩かないといけないから怖い」を、実地で行くような演出を繰り出してくる。
まずこの「オーソドックスに見えて、なんかすごいぞ!?」と思わせる演出力がすごい。特にプロローグからのタイトルコールの流れは、一気に心が掴まれました。
そんな感じで要所要所にホラー演出はあるんですが、実はゲームのメインは「甦りの秘術」をめぐって相手の命を奪いあうバトルもの。
最近似たようなゲームやったな! 型月ゲームに馴染みある人には、ほぼほぼ聖杯戦争と思っていただいて相違ないです。
バトルは選択肢と会話の中から相手の能力を読み取り、相手の異能力をかわしつつ自分の異能力に有利な状況に導いていくというもの。見た目はただ会話してるだけなのに、一言一句見逃せない緊張感がありました。
そして何よりそんな会話を繰り出すキャラクターたちの個性が素晴らしい。
シリアスな展開が続く中で、全員にちょっとずつすっとぼけた調子があって、恐ろしい状況のはずなのに笑えてくる。漫才のような掛け合いの妙に、キャラクターたちのこと好きになっちゃうじゃんよ。
みんな刑事コンビが大好きだろうし私も大好きだが、マダムとプロタン組も相当おもろいよな!!???? プレイヤーキャラの中でも一際決意が重い組み合わせなのに、こんなに要所要所ですっ飛ばしてくるのかとゲラゲラ笑ってました。でもちゃんと重いとこもしっかりこなす、名俳優たちばっかりなんよ。それと黒鈴ミヲ中心の別シリーズも頼むわ…。
そう、そんな愉快な側面があるだけに、悲劇的な展開でドラマが光る。
江戸時代の大火や関東大震災を経た土地で、そして太平洋戦争の傷跡がまだ生々しく残る時代。オカルトをめぐる事件の根底には、人間のおぞましさと悲しみが見え隠れする。
個性豊かなキャラクターたちの視点を通じ、時に時空を超えて、甦りの秘術と七不思議に狂わされた人々の顛末を追いかけたその先に、かけがえのないゲーム体験がありました。
楽しかったな〜
2023年10月11日 この範囲を時系列順で読む
「Fate/Samurai Remnant」1回目クリア感想
「Fate/Samurai Remnant」1回目クリア感想
switch版で遊んでます。まだ回収できてないエンドがあるんだけども、とりあえず1回目の感想記事。
「Fate/Samurai Remnant」公式サイト
江戸時代に聖杯戦争やろうぜ! っていうFateシリーズの最新作です。
聖杯戦争って何よって人はぐぐれぐぐれ。Fateシリーズのアニメかコミックなら今たくさんあるので、入り口はいっぱいあるぞ。多分一番普及しているだろうFate作品たるFGOは、「マスターとサーヴァント」システムはあるけど、聖杯戦争はそんなにやってないから意外とこの辺の知識がつかないかもしれない。
まず型月作品の感想を語るなら、「わたくしとTYPE-MOON」の話からしないといけないのでそこから書きます。
ゲーム遍歴から言うと、2000年初頭に美少女ゲーム好きの友人たまたま「月箱」を持っていたため、月姫と歌月十夜をプレイしたのが出会いでした。その流れで当時PC版が発売直後だった「Fate/stay night」をプレイ。流れのままに「hollow ataraxia」を遊んで、あとは飛び飛びにシリーズ作を嗜む程度です。FGOも時々遊んでますが1.5部の途中で止まってる。月姫Rは遊んだ。リメイクのシエル先輩好き好き。
「Extra」シリーズは未プレイなので、ホロウから数えるとサムライレムナントは約18年ぶりに単独の聖杯戦争してるゲームかもしれない。型月も長くなったな…。
とはいえ、ゲーム性から言えばノベルゲームからアクションRPGという大飛躍なので、サムライレムナントは普通に新作ゲームとして楽しみでした。
それでゲームの感想ですが、やっぱりなんというか戦闘システムの設計が良かったですね。
プレイヤーキャラである伊織(人間)と、オートで敵を迎撃するセイバー(サーヴァント)が組んでバトルを行いますが、伊織の攻撃が強敵には通らず・セイバー(サーヴァント)の攻撃は強敵に通るという構造が、何とも言ってもこのシステムの肝でしょう。
伊織を操作している最中は正面からは全く攻撃が通らないので、いろんな手段で相手の隙をついて倒す……とは、近年のアクションゲームだとしばしば搭載されているシステムですが、世界観の観点から言うとこれってまさに「fate世界における人間の戦い方」の再現だと思いました。
上位存在としてのサーヴァントや魔獣たちには人間は基本かなわない……しかし、時々人間の身でありながら鍛え抜かれた技巧の末に、さらにいくつかのからめ手を用いることで時には勝つこともできる。この塩梅については、Fateシリーズに触れたことある人なら「よくわかってるな~」と感心するんじゃないでしょうか。
例えば、相手に隙ができると敵の身体が光って見えて攻撃が通るようになるんですが、あれはゲーム的信号ってよりは「人間の身で武芸を極めたやつに見えてる攻撃の筋道」にだんだん思えてきてアツいなと。
ゲーム的にもボタン連打すれば倒せるというものではなく、相手の隙ができるまで待ったり、ジャスト回避からのカウンターを狙ったり、ゲージをためて必殺技をくらわせてダウンさせたりと、アクションながらに戦略性が要求されるバランスが良かったですね。
その一方で、基本的に敵が固いし「ボタン連打すれば倒せる」わけではないので、ゲーム難易度的にはアクションになれていないと厳しいかなとも。もともとノベルゲーム発である型月ファンからすれば、なかなかとっつきにくいジャンルかもしれない。逆に言うと、これまでジャンル的にピンとこなかった人の入り口にもいいかもしれませんね。
あとシステム的な難点から言えば、カメラワークとロード時間かな。ただこれもしかするとswitch版だからかも。
カメラが結構難ありで。角度によっては結構はっきりがくがく動くし、特に町マップは細い路地が迷路みたいになってることも多く、久しぶりに3D酔いしました。
フィールドマップから街に入るときのロード時間も長めで、体感ではゼルダの伝説ブレスオブワイルドでワープしたときのロード時間くらいありました。
ただ、かなり多くのハードに展開している作品なので、もうちょいスペック的に高いハードウェアだったらこの辺ましだったのかな~という気持ちも。まあまあ何とか乗り切りましたよ。
物語の話になりますが、先細少し触れました通り、今作の主人公の伊織は「人間の身で武芸を極めたやつ」なんですよね。
ゲーム開始時は、伊織もそこいらのごろつき(人間)相手には無類の強さを持つものの、攻撃エフェクトはそこまでは出でもないし動きも地味。一方で、序盤から共闘するセイバーは剣を一振りすればなんか光るし、伊織以上に早く高く動き回る。もうなんかそのギャップからして「人間と人間ならざる存在」を感じずにはいられない。
しかしゲームが進行し、伊織もどんどん強くなっていくと、伊織の攻撃エフェクトも光ったりするし、ちょっと人間離れした動きをし始める。そうやって伊織はどんどこ人間離れしていくし、最後は単騎でサーヴァント倒すし、fate主人公恒例「気がつけばやべーやつ」の出来上がりよ。こういうところはやっぱり押さえてるんだな。
正直1回目のエンドでは、彼のそういう側面に触れはしても深堀はされなかったので、たぶんここからそこが本題になっていくんじゃないかな…。そういうわけで周回が基本のゲームです。
相棒であるセイバーとは、ゲーム前のインタビューなどでも「バディ」を押してるだけあって、今作では恋仲にならないです。っていうか別に相手がいる。
このあたりは「美少女恋愛ゲーム」から生じた月姫・Fateシリーズに長く根付いていた文化だけあって、遊んでみてがっかりする人もいるのかなあ。個人的には「歴史上の偉人」を扱ううえで、主人公と恋に落ちる展開はしばしば設定に無理が来ることも多くて、バランスが難しい要素だな…という気持ちもあったので、ゲームジャンル自体がすっかり変わっているならそこにこだわる必要もないだろうと感じています。
ただ、はっきりとした恋愛関係という形ではないものの、伊織とセイバーは終盤ずっと距離近くてアツアツだから大丈夫(?)
最初は特にセイバー側が地味にあたりの強い態度で伊織に接してきますが、旅をつづけるにつれて伊織との関係も深まり、最終的には「お前がいてくれたから」「こちらこそ」という意味のやりとりを、戦闘ボイスでずーっと言いあう仲になる。半端なデートセリフよりイチャイチャしておる。でもやってることはバトルなんですよ。いったい何を見せられてるんだ……。
サムライレムナントはこれはこれで、「お互いの関係を深めて唯一無二の存在になっていく過程が楽しめるストーリー」であることには間違いないです。
そんな関係を楽しめるくらいには、やはりセイバーと伊織のキャラクター性が素晴らしく、なんといってもそこが本作の魅力だと感じています。
何事にも奔放で、無類の強さと無邪気さで3Dマップを縦横無尽に駆け回るセイバーと、そんなセイバーに当初は振り回され旅を通じて自己を見つけていく伊織。
特に伊織はおとなしそうに見えてお前根っこは相当「戦士」だよなあと。どんどん強くなっていくのもそうだし、生い立ちやこれまでの経歴踏まえたら結構な「戦闘狂い」じゃないのか君。太平の世に「なってしまって」自身の牙をみないことにしてるけど、でもずーっと磨いていたわけでしょ。
そんな彼に絶好の機会である聖杯戦争を与えたらどうなってしまうのか? そのそばにいるセイバーは彼をどう見るのか? この二人の先には何があるのか? それを見守るためにも残りエンド回収いってきます。
switch版で遊んでます。まだ回収できてないエンドがあるんだけども、とりあえず1回目の感想記事。
「Fate/Samurai Remnant」公式サイト
江戸時代に聖杯戦争やろうぜ! っていうFateシリーズの最新作です。
聖杯戦争って何よって人はぐぐれぐぐれ。Fateシリーズのアニメかコミックなら今たくさんあるので、入り口はいっぱいあるぞ。多分一番普及しているだろうFate作品たるFGOは、「マスターとサーヴァント」システムはあるけど、聖杯戦争はそんなにやってないから意外とこの辺の知識がつかないかもしれない。
まず型月作品の感想を語るなら、「わたくしとTYPE-MOON」の話からしないといけないのでそこから書きます。
ゲーム遍歴から言うと、2000年初頭に美少女ゲーム好きの友人たまたま「月箱」を持っていたため、月姫と歌月十夜をプレイしたのが出会いでした。その流れで当時PC版が発売直後だった「Fate/stay night」をプレイ。流れのままに「hollow ataraxia」を遊んで、あとは飛び飛びにシリーズ作を嗜む程度です。FGOも時々遊んでますが1.5部の途中で止まってる。月姫Rは遊んだ。リメイクのシエル先輩好き好き。
「Extra」シリーズは未プレイなので、ホロウから数えるとサムライレムナントは約18年ぶりに単独の聖杯戦争してるゲームかもしれない。型月も長くなったな…。
とはいえ、ゲーム性から言えばノベルゲームからアクションRPGという大飛躍なので、サムライレムナントは普通に新作ゲームとして楽しみでした。
それでゲームの感想ですが、やっぱりなんというか戦闘システムの設計が良かったですね。
プレイヤーキャラである伊織(人間)と、オートで敵を迎撃するセイバー(サーヴァント)が組んでバトルを行いますが、伊織の攻撃が強敵には通らず・セイバー(サーヴァント)の攻撃は強敵に通るという構造が、何とも言ってもこのシステムの肝でしょう。
伊織を操作している最中は正面からは全く攻撃が通らないので、いろんな手段で相手の隙をついて倒す……とは、近年のアクションゲームだとしばしば搭載されているシステムですが、世界観の観点から言うとこれってまさに「fate世界における人間の戦い方」の再現だと思いました。
上位存在としてのサーヴァントや魔獣たちには人間は基本かなわない……しかし、時々人間の身でありながら鍛え抜かれた技巧の末に、さらにいくつかのからめ手を用いることで時には勝つこともできる。この塩梅については、Fateシリーズに触れたことある人なら「よくわかってるな~」と感心するんじゃないでしょうか。
例えば、相手に隙ができると敵の身体が光って見えて攻撃が通るようになるんですが、あれはゲーム的信号ってよりは「人間の身で武芸を極めたやつに見えてる攻撃の筋道」にだんだん思えてきてアツいなと。
ゲーム的にもボタン連打すれば倒せるというものではなく、相手の隙ができるまで待ったり、ジャスト回避からのカウンターを狙ったり、ゲージをためて必殺技をくらわせてダウンさせたりと、アクションながらに戦略性が要求されるバランスが良かったですね。
その一方で、基本的に敵が固いし「ボタン連打すれば倒せる」わけではないので、ゲーム難易度的にはアクションになれていないと厳しいかなとも。もともとノベルゲーム発である型月ファンからすれば、なかなかとっつきにくいジャンルかもしれない。逆に言うと、これまでジャンル的にピンとこなかった人の入り口にもいいかもしれませんね。
あとシステム的な難点から言えば、カメラワークとロード時間かな。ただこれもしかするとswitch版だからかも。
カメラが結構難ありで。角度によっては結構はっきりがくがく動くし、特に町マップは細い路地が迷路みたいになってることも多く、久しぶりに3D酔いしました。
フィールドマップから街に入るときのロード時間も長めで、体感ではゼルダの伝説ブレスオブワイルドでワープしたときのロード時間くらいありました。
ただ、かなり多くのハードに展開している作品なので、もうちょいスペック的に高いハードウェアだったらこの辺ましだったのかな~という気持ちも。まあまあ何とか乗り切りましたよ。
物語の話になりますが、先細少し触れました通り、今作の主人公の伊織は「人間の身で武芸を極めたやつ」なんですよね。
ゲーム開始時は、伊織もそこいらのごろつき(人間)相手には無類の強さを持つものの、攻撃エフェクトはそこまでは出でもないし動きも地味。一方で、序盤から共闘するセイバーは剣を一振りすればなんか光るし、伊織以上に早く高く動き回る。もうなんかそのギャップからして「人間と人間ならざる存在」を感じずにはいられない。
しかしゲームが進行し、伊織もどんどん強くなっていくと、伊織の攻撃エフェクトも光ったりするし、ちょっと人間離れした動きをし始める。そうやって伊織はどんどこ人間離れしていくし、最後は単騎でサーヴァント倒すし、fate主人公恒例「気がつけばやべーやつ」の出来上がりよ。こういうところはやっぱり押さえてるんだな。
正直1回目のエンドでは、彼のそういう側面に触れはしても深堀はされなかったので、たぶんここからそこが本題になっていくんじゃないかな…。そういうわけで周回が基本のゲームです。
相棒であるセイバーとは、ゲーム前のインタビューなどでも「バディ」を押してるだけあって、今作では恋仲にならないです。っていうか別に相手がいる。
このあたりは「美少女恋愛ゲーム」から生じた月姫・Fateシリーズに長く根付いていた文化だけあって、遊んでみてがっかりする人もいるのかなあ。個人的には「歴史上の偉人」を扱ううえで、主人公と恋に落ちる展開はしばしば設定に無理が来ることも多くて、バランスが難しい要素だな…という気持ちもあったので、ゲームジャンル自体がすっかり変わっているならそこにこだわる必要もないだろうと感じています。
ただ、はっきりとした恋愛関係という形ではないものの、伊織とセイバーは終盤ずっと距離近くてアツアツだから大丈夫(?)
最初は特にセイバー側が地味にあたりの強い態度で伊織に接してきますが、旅をつづけるにつれて伊織との関係も深まり、最終的には「お前がいてくれたから」「こちらこそ」という意味のやりとりを、戦闘ボイスでずーっと言いあう仲になる。半端なデートセリフよりイチャイチャしておる。でもやってることはバトルなんですよ。いったい何を見せられてるんだ……。
サムライレムナントはこれはこれで、「お互いの関係を深めて唯一無二の存在になっていく過程が楽しめるストーリー」であることには間違いないです。
そんな関係を楽しめるくらいには、やはりセイバーと伊織のキャラクター性が素晴らしく、なんといってもそこが本作の魅力だと感じています。
何事にも奔放で、無類の強さと無邪気さで3Dマップを縦横無尽に駆け回るセイバーと、そんなセイバーに当初は振り回され旅を通じて自己を見つけていく伊織。
特に伊織はおとなしそうに見えてお前根っこは相当「戦士」だよなあと。どんどん強くなっていくのもそうだし、生い立ちやこれまでの経歴踏まえたら結構な「戦闘狂い」じゃないのか君。太平の世に「なってしまって」自身の牙をみないことにしてるけど、でもずーっと磨いていたわけでしょ。
そんな彼に絶好の機会である聖杯戦争を与えたらどうなってしまうのか? そのそばにいるセイバーは彼をどう見るのか? この二人の先には何があるのか? それを見守るためにも残りエンド回収いってきます。
2023年10月5日 この範囲を時系列順で読む
15分刻みバーチカル手帳見つけた!!「WISELY (ワイズリー)」
15分刻みバーチカル手帳見つけた!!「WISELY (ワイズリー)」
やっぱり世界が待ってるって15分刻み!!!!
1日を15分単位で見える化する手帳 WISELY(ワイズリー)
以前の日記でも触れたことありますが、普段から週間バーチカル手帳でスケジュール管理してまして。
ただ、週間バーチカル手帳って最小単位はだいたい30分刻みで、これがちょっと使いづらいな〜という思いがありました。
本当は15分刻みのバーチカルが理想なんですよ。でも全然世の中になくてねー。数年前に愛用してた15分刻み手帳の「view」は新作発表されなくなり、今も30分バーチカル手帳を使ってます。
で、ふと検索したらバッチリあるやんけ!!! しかも去年からあったらしい!!! 気づけよ自分!!!! すでに来年の手帳は買ってたけど、手帳狂いはそんなこと気にしないのでポチりました。
正直、ちょっと罫線が濃くて好みと違うなとか、方眼だったらなおいいのになーとか思うとこはあるものの、それこそ不満があったらまた変えればいいので今は突っ走るぜ!!!!
やっぱり世界が待ってるって15分刻み!!!!
1日を15分単位で見える化する手帳 WISELY(ワイズリー)
以前の日記でも触れたことありますが、普段から週間バーチカル手帳でスケジュール管理してまして。
ただ、週間バーチカル手帳って最小単位はだいたい30分刻みで、これがちょっと使いづらいな〜という思いがありました。
本当は15分刻みのバーチカルが理想なんですよ。でも全然世の中になくてねー。数年前に愛用してた15分刻み手帳の「view」は新作発表されなくなり、今も30分バーチカル手帳を使ってます。
で、ふと検索したらバッチリあるやんけ!!! しかも去年からあったらしい!!! 気づけよ自分!!!! すでに来年の手帳は買ってたけど、手帳狂いはそんなこと気にしないのでポチりました。
正直、ちょっと罫線が濃くて好みと違うなとか、方眼だったらなおいいのになーとか思うとこはあるものの、それこそ不満があったらまた変えればいいので今は突っ走るぜ!!!!
2023年10月3日 この範囲を時系列順で読む
映画「BAD LANDS」を見てきたよ
映画「BAD LANDS」を見てきたよ
なんだか原田監督作品を毎年見てるような気がするぞと思ったら、ほんとに毎年公開されてた。いずれも結構な大作映画揃いと思いますが、ハイペースだな〜。
特殊詐欺グループいわゆる「オレオレ詐欺」を繰り返す犯罪グループに加担する姉と、刑務所上がりの弟を主人公とするピカレスクドラマ。
序盤で展開される詐欺グループの手口の巧妙さ、複雑さが、悪いことだってわかってるんだが「詐欺するのも大変なんだな…」と思わずにはいられないリアリティがあって引き込まれます。
加担する人たちも作中からして「最底辺の人間」と言われてる人たちですが、そこにはさまざまな個性があり、理性も、良心も、その人なりの義もあって、その中で生活をしている。悪人であることは間違い無いのに、キャラクターとしての魅力が発揮されてて目が離せない。どうしても情を寄せてしまう。上手いわ〜。
原田監督作品というと、独特の長台詞をかなり早口で言わせるため聞き取りがギリギリな時もあるんですが、今回はみんな関西弁という元々早い言語なもんで、それこそ漫才を聴いているようなテンポの良さがありました。まあ言われてるのはすっごい悪党談義だったりするが。
最底辺ながらに穏やかな生活と、一歩先には地獄が垣間見える社会。徐々に破滅に向かっていく姉弟のいく先に、思わずハラハラ見てしまって最後まで楽しめました。
そして本作、たぶんかなり大きく展開されている「娯楽作」の扱いだと思うし、実際とってもエンタメしてますが、内容はまさに今の日本を切り取った社会派エンタメでした。
詐欺グループが根城とするビルの壁にも、主人公を傷つけた過去にも、いずれも「金」を史上とする価値観がべったり見える。そしてそれらの背後には現代日本の政界が見える。
すぐにオマージュ元のわかる実際の政界スキャンダルを堂々と作劇に盛り込んでいるのは、やはり「この社会がこういう形をしている理由」を、作り手自身がはっきりとそこに見出しているからなのだろうと思います。
多くの人に見られてほしいなと思います。
なんだか原田監督作品を毎年見てるような気がするぞと思ったら、ほんとに毎年公開されてた。いずれも結構な大作映画揃いと思いますが、ハイペースだな〜。
特殊詐欺グループいわゆる「オレオレ詐欺」を繰り返す犯罪グループに加担する姉と、刑務所上がりの弟を主人公とするピカレスクドラマ。
序盤で展開される詐欺グループの手口の巧妙さ、複雑さが、悪いことだってわかってるんだが「詐欺するのも大変なんだな…」と思わずにはいられないリアリティがあって引き込まれます。
加担する人たちも作中からして「最底辺の人間」と言われてる人たちですが、そこにはさまざまな個性があり、理性も、良心も、その人なりの義もあって、その中で生活をしている。悪人であることは間違い無いのに、キャラクターとしての魅力が発揮されてて目が離せない。どうしても情を寄せてしまう。上手いわ〜。
原田監督作品というと、独特の長台詞をかなり早口で言わせるため聞き取りがギリギリな時もあるんですが、今回はみんな関西弁という元々早い言語なもんで、それこそ漫才を聴いているようなテンポの良さがありました。まあ言われてるのはすっごい悪党談義だったりするが。
最底辺ながらに穏やかな生活と、一歩先には地獄が垣間見える社会。徐々に破滅に向かっていく姉弟のいく先に、思わずハラハラ見てしまって最後まで楽しめました。
そして本作、たぶんかなり大きく展開されている「娯楽作」の扱いだと思うし、実際とってもエンタメしてますが、内容はまさに今の日本を切り取った社会派エンタメでした。
詐欺グループが根城とするビルの壁にも、主人公を傷つけた過去にも、いずれも「金」を史上とする価値観がべったり見える。そしてそれらの背後には現代日本の政界が見える。
すぐにオマージュ元のわかる実際の政界スキャンダルを堂々と作劇に盛り込んでいるのは、やはり「この社会がこういう形をしている理由」を、作り手自身がはっきりとそこに見出しているからなのだろうと思います。
多くの人に見られてほしいなと思います。
2023年9月28日 この範囲を時系列順で読む
女性たちが元気に仲良くしてる洋画を見るのは楽しいな!!!
アメリカ映画において「女性監督は売れない」なんてまことしやかに言われていた時期もあったそうで、おいふざけんなよアメ公ども〜と思うことしばしば。
そうこうしているうちに、アナ雪で姉妹の連帯を描いて大ヒットし、女性ヒーローの女性監督映画「ワンダーウーマン」が興行的に大ヒットし、完全に女性主人公や女性監督ものの先が開いたのがここ10年のざっくりした潮流の一つだったなと。
ただし、個人的にワンダーウーマンに関しては、この10年でもトップクラスに言いたいことがある映画で。
シンプルに感想を言うと「ワンダーウーマン自身は女性で強くて大活躍できても、あいつは自分以外の女が嫌いかよくて無関心なんだから、多くの女性エンパワメントになりえんじゃろがい」というあたり。
彼女は単騎でバキバキやってるし、腕を組むのはいつだって男性だし、自分が惚れた男のために戦う。彼女の周りにいる女性とは、彼女が捨てた島に住んでる排他的な人たちか、彼女に「それって奴隷みたいね」と言われてる人くらいしかいない。
ワンダーウーマンに自身を投影できないなら、彼女に嫌われるか無視される対象にしかなんねーんだな〜って思うしかない映画だったなと。でもそれがバカスカ売れて、「これぞ新時代の女性像!」みたいな評も当時はいっぱいあったんすよ。イヤんなるね。
そうこうしてるうちにワンダーウーマンに数年遅れて、MCU映画群の中では初の単独ヒーロー映画としてデビューした前作「キャプテン・マーベル」。
軍人上がりのぶっきらぼうな態度で、MCUヒーローの中でも群を抜いたエネルギー量を誇る超強い女性ヒーロー。男性的とも言えるキャラクター像には、やっぱりどうにもワンダーウーマンの影が見える。
しかしキャプマでは彼女の親友にあたる女性が裏に表に協力し、それが彼女の支えにもなっていて、女性の連帯が表立って描かれていたことが当時の自分にはホッとする要素になっていました。
そんな続編に当たる今作「マーベルズ」では、はっきりと女性ヒーロー同士が協力し合う様が描かれていて、より自分に望ましい方向に向かっているなと安心しました。
作中ではディズニープリンセスっぽいパロディシーンがあったりして、私としては「女性が活躍することとは、男性的になることと同義である」という時代から、「女性らしいとされるものを捨てなくたって良い」という時代への進歩に感じるんですよね。
そういうテーマ性とは切り離して考えても、メインになる女性3人の連帯は見ていて微笑ましく、ニコニコしながら見てました。
資源問題を扱うテーマはシビアながらに、気の抜けたコメディも多々あるユーモアと陽気さが根っこにある映画で、MCUの良さってこういうとこだったよな〜と確認できる映画です。