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南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

肩こった

肩こった

あのどこの年間記事、いったん初稿ができた~。

毎回「ほんとに書けるのかな」と思いながら着手しますが、書いたら書いたで「本当にこんな内容でいいのか?」と変な責任感がわいてくる。まあでも、誰かに期待されてるわけでもないんだから好きに書こう~と毎回思ってのりきってる。周囲の期待がない方がのびのびできるタイプです。

あとは資料用の画像やらなんやら作成し、誤字脱字など見直したら投稿です。週明け、大晦日前には公開します。良かったら読んでね~。

#あのアレどこ

「いのまたむつみ回顧展」に行ってきました

「いのまたむつみ回顧展」に行ってきました

溜息しかない。

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https://edition-88.com/pages/inomata-exh...

ずーっとずーっと憧れている絵描きの一人であるいのまたむつみさん。近年はあちこちで原画展が開催されているのは知っていたのですが、ついに参加できました。できれば生前の展示会に行きたかった気持ちもある……だけど、作品は今後もずっと愛され続けていると信じてます。

80年代の活動初期から、90年代、00年代から近年の作品まで、アナログ画材で作成されたものを中心に展示されていました。

実際に見に行くと、原画がでっかい。書籍におおいA判B版の規格よりも、おそらくキャンバスサイズで20~30号くらいのものが多かったかな。展示用に大き目なものを選んでいるというのもあるでしょうが、壁に飾っても十分な存在感のあるサイズが多かったです。そこに加えてリキテックスの厚みのある質感や、金箔やテクスチャを使った演出もあって本当に迫力のある絵ばかり。

テイルズオブエターニアのパッケージ絵なんて、30号くらいあって完全に壁に飾れるサイズなんである。これをあの手のひら大の大きさに縮小してみていたのか~~~とまじまじと見てまう。元のサイズが大きいのと、あとやはりあの大胆かつ繊細な筆致もあって、印刷だと完全に見えなくなっている色使いもばっちり。こんなところにこの色が混ざっていたのか、と画集で何度も見返した絵にも発見がありました。

展示場では何度も何度も見返して歩き回ってみてきましたが、「まだみていたい」と思わずにはいられない。

同じところに立てるとは思ってないけど、自分も頑張ろうと、そう思ってしまうような活力に満ちた作品たちでした。良かったな~。

ぽちぽちしている

ぽちぽちしている

あのどこの年間まとめ記事を書きながら、年明けウェブオンリーのマンガ原稿を描き、先日発行したオリジナル同人誌の通販作業をしていてなにがなんだか。

ミスがないように祈るばかりです。

デジタルデトックスにはならなかった話

デジタルデトックスにはならなかった話

最近、1日の終わりにノートに思ったことや感じたことをバーッと書いてから寝るようにしているんですが、これやるとSNSに投稿する頻度が見事に減りもうした。

先日たまたまた購入した「ずっとやりたかったことを、やりなさい。 The Artist's Way」(記事189)のモーニングページをとりあえずやってみようと思い立ち、しかし「朝起きてすぐに書く」が体質的に無理だったので、夜寝る前の振り返りとしてノートにあーだこーだと書いてます。

いわゆる日記、その日の振り返りや記録ではなく、ペンを持ったその瞬間に思ったことや感じたことを文字にしています。その日あった印象的なことだけではなく、ただただ過去を回想したり、将来の希望をだらだら書いたり……自分はすでに日記は日記で別に書いており、正式な記録としては期待してないので整合性やら正確性やらそっちのけです。

「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」ではモーニングページを「脳の排水」と表現しているように、実際にやってみると頭に残っていたちょっとした記憶やきがかりを文字にして残るので、脳内で保存する必要がなくなりすっきりする側面は確かに感じますね。

実際そこで吐き出した話題のいくつかは、このブログやSNSに投稿するネタ元にしたり、別で使ってる日記の下書きとして使ってもいますが、「一回書いてすっきりしたからもうええや」と、特にネットへの表出意欲は以前よりは下がった感じも。

下がったというか、意識が変わったかな。自分にだけ関係あるようなつぶやきはノートで発散しているので、そうなるとネット上に表出するのは結局「他者との交流」「周囲や社会に利益になると思っている情報の発信」あたりになっていって……

あれ? もしかしてこれって、たいていの人がやってることでは?? 誰に読まれてもいいけど時々誰かには刺さるかもしれない話題をネットに投稿してたまに交流が生まれてきゃっきゃすることが楽しい、みたいなことを四六時中投稿するような人の方がおかしいんじゃないんですか。つまり自分はやっと真人間になれたって、こと……??

いらない事実に気づき始めたけど、いうて閲覧は以前と変わらん頻度でしており、たぶんデジタルデトックスにはなってないと思う。

あと、かれこれ四半世紀くらい毎日ネットに接している人生なんですが、この習慣をもっと人生の早い段階で得たとしても今みたいにはなってなかった気がするんだよな~。さんざんウェブ日記やマイクロブログに書き込んできた人生があるからこそ、今は手元のノートにそれまでの照準があったっただけっていうか。

これやったことでネット断ちができたとか、意識が変わったとかは実感ないです。

とりあえずノート使い切るまではやってみよ~と思ってます。

最近信じているもの

最近信じているもの

あかり……信じてるぜ……(敬称略)



一口食べた瞬間からめーっちゃおいしくて、次からちくわとじゃがいもは買い物の定番食材にいれます。



これも最近連日リピート作成してます。普段からくたっとした白菜煮が好きなんですが、とにかくうまみが出ていておいしい。味変でコンソメ入れたり、ひき肉やベーコン入れてもおいしい。

「ずっとやりたかったことを、やりなさい。 The Artist's Way」読了

「ずっとやりたかったことを、やりなさい。 The Artist's Way」読了

本屋の店頭で表紙に惹かれ、内容もよく確認せずに買ったら有名な自己啓発本でした。箔押しで現題が描かれているのも素敵で、うっとり眺めちゃう。



出版社公式

近年スケジュール管理や手帳の情報を収集していると何かしら見かける「モーニングページ」の出展元で、2001年出版だから20年以上読まれている人気作ですね。

本自体は「己の創造性を取り戻すためのワーク」をまとめており、その代表的な手段として「モーニングページ」で自分の内側の思考や欲求を吐き出し、「アーティストデート」で見聞きするものを増やしてインプットを増やすと紹介されています。また更に12週間にわたって課題をこなすことで、「やりたかったこと」に向き合うという流れ。

課題も明瞭で、例えば新しいことを始めたくても「でも…」と踏みとどまってしまう心理について、「過去に誰かにそれを言われたか?」「思い浮かぶ人はいるか?」と書きだし、「それっていま踏みとどまる理由か?」と問いただす。そうやって少しずつ行動を阻害する心的要因に整理をつけて、やりたかったことに向き合うまでじっくり付き合ってくれます。

自分はネットでモーニングページの話ばかり聞いていたので、大本ではアーティストデートというセットの行為があることに結構驚きました。「何か書きだすくらいならいいけど、でかけたり、行動するのは面倒だな…」という人間の心境が反映されてるのかもしれない。

主題が「創造性の回復」とあるだけに、しばしば小説や脚本、詩の作成といったクリエイティブな方面への出力が目立ちますが、たぶんこれ、ダイエットとか資格勉強とか転職とかにも効果あるよねえと。本当はやりたいのにやったところで意味ないよ、という諦観は何をもってしても障害となるから。

面白かったので同じシリーズもちょこちょこ読んでみようと思います。

コミティア落ちたー

コミティア落ちたー

何度確認しても落ちてる

COMITIA154参加サークルリスト

今回、最終的に4500サークル参加となったところに6000サークルの応募があったというから、単純計算で当選率75%……一番ヤバいときのコミケくらいある。

ちなみに私は当選率80%くらいのころのコミケを平均2回に1回落ちてた人なので、まあコミティアでもこうなったら落ちますよね……の気持ち。もちろん凹んでいる。

新刊もだいたい出来上がっていたんだけどもどうしたもんかな、と丸2日悩んでまだ決まってないです。う~ん

日曜昼下がりのつぶやき

日曜昼下がりのつぶやき

「写真トレースさえすれば、プロと同じ絵が描ける!」もトレース技術をはじめとした絵を描く技術への雑認識だなあと思うし、「AIを使いさえすれば、プロと同じレベルの絵が誰でも出せる!」もAIへの雑認識だよな~と思う。

(自分が前に使った時は「思ったより簡単じゃないな」「すごいAI絵は使ってる人がすごいんだな」と思ったし、いま試行錯誤している人らの工程を見てもそんな簡単なツールとも思えない)

例えばヤフオクやメルカリを見ていると、有名漫画家やアニメーターが描いたとされる直筆色紙が稀に良く出品されてるんだけど、どーーーーーーーーーーーみても実物じゃない筆致の、元の絵をへたくそになぞったどーーーーーーーーみても偽物なのに、それでも買ってる人がたまにいる。偽物だとわかってても買ってるのかわからんけど、SNSでたまに話題になって「これ本物??」と困惑している人もいるから、やっぱり判断できない人は思っている以上に多い。これはAI以前から存在してたこと。

そこに共通するのはそこにある絵をみたときの審美眼とか解像度の低さなんだけど、なんというかこれは、今に始まったことじゃなくずーっとあることで、自分の詳しくない分野は解像度が低い……つまり巧拙をジャッジするときのグラデーションの目が粗いので、一定以上のレベルになると「パッと見て上手い絵」と感じてそれ以上は見分けがつかない。各分野そういう人の方が当然多い(自分も、例えば音楽分野に関しては目の粗い人だなって実感がある)

世の中はそういう形をしているので仕方ない……とはあきらめずたくない気持ちもある。リテラシーや文化レベルの向上・底上げって、できるとは思うんですよ世の中。ぬんぬん。

一部ウェブサイトが表示されなくなってます

一部ウェブサイトが表示されなくなってます

うおおおおおなんで見れなくなっとるねーん。

連休中に対応しますーーーーーーご連絡ありがとうございます!!!

思考テスト

思考テスト

「イラストレーターはクライアント向けに、個人サイトなどにAI利用していないことや、利用素材のソースを掲載しておくといいですよ」という旨の投稿を旧Twitterでみかけてからずーっと考えてる。

「どこまでがAI利用していない、なんだ?」と。

これ何度か言ってますが、まず自分は2023年に生成AIをいっちょつかってみっかーという記事 を書いており、その時にがっつり生成をしています。なので、「絶対利用禁止! 使ったことある人は今も使っているに違いない!」と言われたら「そういう判断ならそうすね~」と言わざるを得ない立場です。

あとは創作活動以外でも、日常的にchatGPTをはじめとしたテキスト生成AIの利用している立場です。いわゆる業務がクリエイト方面ではないんですが、もう結構「AI使っていこうぜ~!」って感じになってる分野だと思ってください。

まあそういう側面もあるし、仮に何かクリエイト方面で「制作にAIを使っていないことを証明しろ」といわれたら、画像や映像を直接生成はしてないものの、chatGPTで制作スケジュールを組んでもらったり、オリジナル漫画の構成チェックとかができないだろうかと試行錯誤をしており、その過程で「図示」を出力してもらうことも多々あります。

あとは日常的にAIイラストを見ているし、AI使って映画を作れないかな~って試行錯誤しているYoutubeチャンネルも見ている。実際に商業作家さんでAI使っていると公言している事例や、その利用レポートもよくみています。

これらは割と自分の興味から発した行動ですが、仮に自分がこれらの方面に興味ない人だと仮定して世の中を見まわしてみると、とはいえgoogle検索のAI結果も日常的に目にしているし、Twitterのトレンド情報も目にはしている。どっちも正確性に問題があるので本格的にみてはいないんだが、「目にはしている」しわずかながらにそこから情報を得ちゃうよなあって。

よく聞いてる地上波ラジオではもうすっかり「AIにこれ調べてもらったら」といった枕で日常会話が始まることも多々あって、身近なところでも「AIにメンタルケアをしてもらっている」という話も普通に聞く。身の回りの人が普通に使っている中で、自分もAI利用に興味を持つことはあるだろうし、そんな環境下で今日のニュースの要約を頼んだり、メンタルケアしてもらいながらクリエイト業務をしてもらうのは「制作過程でAIを使っていない」に含まれるのか。

なんかもう「制作過程ってなんだ?どこまでだ?」ってことまで考えちゃう。

Gmailやスプレッドシートを開けば「AI使います?」とチュートリアルが飛んでくる。天気予報はAIの分析結果をもとに天気予報士がジャッジしているものを我々は享受しているし、2020年くらいにとあるラジオで税理士さんが「いま税理士業界ではAI導入により業界再編が行われている」と話してから5年たっており、たぶんもうすでにAI使ってクライアントの確定申告してる事務所いっぱいあるだろ。その中にはクリエイターもおそらく含まれている。

そう思うと、クリエイト分野に限らず生活全般に少しずつAIの活躍の場は増えていて、我々の生活の一部分では必須になっているのに「使っていないってなんだ? どこまでのことなんだ?」と考えてしまう。

こういう環境下で、「リスクを知ったうえで注意深く使います」とは言えても、「リスクがあるのですべて使わないことを宣誓します」はできないよなあと。そうじゃないと少なくとも自分は嘘になる。それか単なる無知晒しか。「こういう用法でAIを使ってます」と、使わないじゃなくて「ここまでは使っています(この分野には使っていません)」という宣言。そうじゃないと自分は胸張って言えない。

ちょっと余談ですが、たまに絵描きクラスタの中で「アナログ画材を使っていたらAI利用を疑われない」みたいな話が出てくるけど、今の若いアナログ画材クリエイターは、仕上げこそアナログ画材でも、その過程でPCやiPadを使って情報収集し、3Dやブラシ素材を駆使してラフや下書きをつくり、ものによっては線画を出力して絵の具で仕上げて、それを世に発表するときはスキャナらカメラで取り込んでフォトショップやクリスタで調整している人はふつーーーーにいるわけで。AIの入る余地という点では、アナログ画材の利用していることは全く保証にならない、と思っています。

まあ結局「うちは使ってないっす」とか「使うのはこの分野だけです」という宣言が(本当に必要とされているなら)汎用的だよなと。

これらはAIに限らず素材利用についてもいえることで。

素材な~。商業本とか、特にクリスタアセットの素材がすべて保証されているかというと、まあ、うーん、信頼のおける作り手を見つけてそこだけ使うくらいしかないかなとは思う。これは正直AI以上に身近なリスクなので、すでに実践していることではありますが。

いうても素材は使う段階が限定されるのでまだわかりやすいが、AIツールに関しては本当にもう「生活のどこかにはいる」というくらい普及しているので、そうなると「制作と生活の差異ってなんだ?」とかまで考えてまう。

絶対こんな考えるこっちゃないだろ、もっと表層的な利用の有無でいいだろと分かってるんだが、どうにも思考が止まらないのでたぶんまだぐるぐる数日考えてると思う。
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