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南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

メンタルのヘルスがへろへろ

メンタルのヘルスがへろへろ

ぜったいこれ季節柄だよなあと。去年の今頃のこの日記にもへろへろ期の記録が残ってるんですが、このくらいの時期が一番不安定。寒いし暗いしたまに暖かいしで外が不安定だと自分も不安定です。

こういう時は自分の将来だとか、社会情勢だとか、気候変動だとかを憂いてひたすら悲しく憤って身動きが取れなくなるんですけど、身動きが取れなくなるのが悪いんであってそういうことを考えること自体は悪いことじゃないんだぞと言い聞かせてます。だから猶更つかれてへろへろすんのかな。

ぷえー。

目に入るすべての情報に対して意見いいたくなってる

目に入るすべての情報に対して意見いいたくなってる

たぶんメンタルが疲れてる。

わたくし、二十世紀末から四半世紀ほどネットを毎日徘徊しているにわかネット民なんですが、その辺から「目に入った誰かの発言に物申したくて仕方ない」という癖があるという自覚がありまして。その中身は、別に相手の意見を徹底的に否定したいわけでもなく、「そうだよねーわかるー私はねえ」と肯定のように見えて話題を勝手に乗っ取るという、かなり厄介な傾向があります。

「この考え方ヤバいな」と感じている自分もいるので、普段はある程度抑えこんでいる(抑え込んでいるよね?)のですが、何かの拍子にぶわーっと表出するときがある。

自分としてはなんだろな、赤ん坊が目に入ったものとりあえず口に入れてみて試すみたいな、あれに似てるなと思っている。目に入ったもの耳に入るもの、例えば街中の広告とか、となり歩いてる人たちの会話だとか、普段なら脳内で「ないもの」と処理されるのにこの時だけは「あるもの」の箱に片っ端からいれちゃって自動で処理が始まる感じ。最初は気づかないけど気づけば普段以上の負荷がかかって頭がぐるぐると回り出して変になってくる。

そういう衝動、ネットのおかげでWEB日記やブログに書いたりすることで発散していた時期もあるんですが、「それ関わらん方が絶対いいよ」ってやつにも食いついちゃうので、サイクルの速いSNSの世の中とは本当に相性が悪い。

急に「それ」がきたので、その発散と、宣言としてこれ書いてます。数日ネットみません。見ないっつっても数日だけだからネット廃人ほんとよくないよな。

あたまの中身がいっぱいだ

あたまの中身がいっぱいだ

という感じで追い立てられている日々です。

今週末のウェブオンリーの参加準備でどたばたしており、「タスクが積みあがっている」状態が本当に苦手で、普段よりちょっとずつ生活に負荷がかかってる感じがします。イベント前だな~って実感する。

イベント参加といえば自分は1~2月に直接参加することは極力控えているんですが、案の定、地元にドカ雪が降ってます。これがだいたい週末まで続くらしい。この時期は運が悪いと雪で現地に行く手段が絶たれてしまうので、やっぱりこの時期に遠出する前提のイベント参加は厳しいなあと。

足の心配はしなくていいウェブオンリーですが、それでも直前までどたばたするのは現地イベント参加するときと変わらないんだな~って。

そんなわけで私生活について書くことは少ないんですが、近況でした。

この世は変わっているけど変わっていない

この世は変わっているけど変わっていない

わたくしのネット人生はだいたい1998年だか1999年ごろ、家にケーブルテレビが導入されてそのついでに定額使い放題ネット回線が開通したのと、家族がノートパソコンを買った時から始まりました。

当時は、パソコン通信やニフティサーブといった総合的コミュニティがネットの中心にあった前時代から、個人がウェブサイトをもって「1国1城があたりまえ」に移行しつつあった時代だった、と先輩方からはうかがっています。自分はその後者の時代の端っこにネットを始めたので伝聞ですけども。

それから四半世紀以上たちぼちぼち30年経つかな、というタイミングなんだけど、ふとした時に「いまって00年代のあのころだっけ」と思う時がある。

自分の人生において、90年代のマスメディアからのオタク叩き、00年代のネット上の女オタク・女叩きというのは、人格形成の年頃真っただ中に受けた「迫害」の記憶・体験であり、いまとなってはあの辺で自分の「他者観」みたいなものが形成されたな~と思う。

歴史家が後年どう判断するかはわからないけれど、ひとつひとつの事象の詳細はことなれど、あの90年代と00年代の事象はひとつなぎだったなと思う。ようは、90年代に周囲から叩かれていた人たちが、自分たちが叩かれた手法をもって別の人と叩いている。「スライドしている」と当時も思った。

なんというか、状況がそろえば「愚かなことを繰り返してはならない」という知性や善性なんてどこかにいってしまって、自分の受けた被害を他者に加害として発揮することなど、当たり前に生じるのだなって。

結構この経験は強烈だったようで、自分は今でも誰かと知り合った時、相手に対して自分が真っ先に思うのは「この人は、あの時の叩きに乗じた(もしくは乗じるような)人か?」と疑った目で見ている。

少しずつ相手のことを知る過程で、だいたいはその印象はぬぐわれるのだが、でも時折、他人のふとした言動の端っこに「あの時、叩いていた人たちの欠片」とでもいうべきものを感じて、「ああ、やっぱりか」と思うこともとてもよくあって。

約20年前と比べて人々の人権意識はどんどん改善されていっていると実感するし、20年前の先進的な考えは今の若い人にとっては「あって当たり前なんだなあ」と思うことも増えたのに、それでもまだしっぽの方にはあいつらがいるのをみて、「変わっていない」とぞっとする。

特に落ちはないんですけど、今年もそう思ったな~っていう記録です。

新年ですけど大晦日に思いをはせる

新年ですけど大晦日に思いをはせる

これがすーーーーーごい良い。



ラジオ番組「アフター6ジャンクション」の企画で、たびたび番組出演しているしまおまほさんのご自宅に、パーソナリティの宇多丸さんや番組スタッフの皆さんで乗り込んで大掃除をしているだけの音源なんですが、すーーーーーっごい良い。

ASMRの一分野に「誰かの作業音+ちょっとおしゃべり」などがありますが、あれ系が好きな人は本当にはまると思う。

新年始まって早々ですが、心は大晦日近辺の少しのんびりしたあの空気に染まっている。うーん、とてもよい。

だいぶ新年かもしれない

だいぶ新年かもしれない

正月は例年通りにのんびりしましたが、やっぱりまだ元日の夕方近くになるとちょっと怖い。

能登の震災からちょうど2年。まだ2年というべきか、もう2年というべきか。正月の地元ニュースもあちこちで震災に絡めた現状や、復興に向けた取り組みなどを報道しており、「もう」と「まだ」がどちらも考えてしまってました。

まあいうて、自分はもうとっくに地震があったことを普段は大半忘れて過ごしており、いまも被災地域の中心にいる人らとの意識のギャップにぶち当たることがあります。この気持ちをなんと表現すればいいのかまだわからない。

偶然にも2024年から書き始めた連用日記の一番最初は、もちろん能登の震災のことで。1月1日をめくるたびに当時の気持ちがよみがえってくるようで、怖いような、思い出しておきたいような難しい気持ちがわいてきます。

この日記ももう3年したら使わなくなって、その時は思い出さなくなるんだろうか。

新しい震災が生まれないことを祈ってやまないです。

年末のお片付け

年末のお片付け

GmailのPOP3廃止対応を大慌てでやってきた。仕方ないとはいえ使い勝手が悪くなりすぎちゃうか。

リアル大掃除はこの時期やりません、雪降ってて寒いので。

これで本当に今年中にやらなあかんこと全部やりました。正月ゴロゴロします。

肩こった

肩こった

あのどこの年間記事、いったん初稿ができた~。

毎回「ほんとに書けるのかな」と思いながら着手しますが、書いたら書いたで「本当にこんな内容でいいのか?」と変な責任感がわいてくる。まあでも、誰かに期待されてるわけでもないんだから好きに書こう~と毎回思ってのりきってる。周囲の期待がない方がのびのびできるタイプです。

あとは資料用の画像やらなんやら作成し、誤字脱字など見直したら投稿です。週明け、大晦日前には公開します。良かったら読んでね~。

#あのアレどこ

「いのまたむつみ回顧展」に行ってきました

「いのまたむつみ回顧展」に行ってきました

溜息しかない。

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https://edition-88.com/pages/inomata-exh...

ずーっとずーっと憧れている絵描きの一人であるいのまたむつみさん。近年はあちこちで原画展が開催されているのは知っていたのですが、ついに参加できました。できれば生前の展示会に行きたかった気持ちもある……だけど、作品は今後もずっと愛され続けていると信じてます。

80年代の活動初期から、90年代、00年代から近年の作品まで、アナログ画材で作成されたものを中心に展示されていました。

実際に見に行くと、原画がでっかい。書籍におおいA判B版の規格よりも、おそらくキャンバスサイズで20~30号くらいのものが多かったかな。展示用に大き目なものを選んでいるというのもあるでしょうが、壁に飾っても十分な存在感のあるサイズが多かったです。そこに加えてリキテックスの厚みのある質感や、金箔やテクスチャを使った演出もあって本当に迫力のある絵ばかり。

テイルズオブエターニアのパッケージ絵なんて、30号くらいあって完全に壁に飾れるサイズなんである。これをあの手のひら大の大きさに縮小してみていたのか~~~とまじまじと見てまう。元のサイズが大きいのと、あとやはりあの大胆かつ繊細な筆致もあって、印刷だと完全に見えなくなっている色使いもばっちり。こんなところにこの色が混ざっていたのか、と画集で何度も見返した絵にも発見がありました。

展示場では何度も何度も見返して歩き回ってみてきましたが、「まだみていたい」と思わずにはいられない。

同じところに立てるとは思ってないけど、自分も頑張ろうと、そう思ってしまうような活力に満ちた作品たちでした。良かったな~。

ぽちぽちしている

ぽちぽちしている

あのどこの年間まとめ記事を書きながら、年明けウェブオンリーのマンガ原稿を描き、先日発行したオリジナル同人誌の通販作業をしていてなにがなんだか。

ミスがないように祈るばかりです。
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