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南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

映画「ボーはおそれている」を見てきたよ

映画「ボーはおそれている」を見てきたよ



日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男ボーは、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然、怪死したことを知る。
母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。
その後も奇妙で予想外な出来事が次々と起こり、現実なのか妄想なのかも分からないまま、ボーの里帰りはいつしか壮大な旅へと変貌していく。


公式サイトより引用

新進気鋭の映画監督アリ・アスターの長編最新作! 私が長編初作品のヘレディタリーを見た後に1週間くらい引きずって家の電気を消せなくなったでおなじみ!

ヘレディタリーでもミッドサマーでも鑑賞直後は「どう思えっていうんだよ!」と思った覚えがあるんですが、今回も見事に「どう思えっていうんだよ!!」って思いながら帰路につきました。

いうてヘレディタリーもミッドサマーも「ホラー映画」に属しており、そこには「型」があるから、あちこちでぐにょんぐにょんしていてもまだ外枠があったんですよね。そこへいくと「ボーはおそれている」は監督自身が「ジャンルにとらわれない映画を撮りたい」というコンセプトから始まっており、ある意味「外枠をなくした映画」を志しているのだろうと推測されるので、もうただただぐにょんぐにょんです。

夢、特に悪夢のような映画で。強いオチもないし、ただただ理屈のわからない理不尽なことがボーには襲い掛かってくる。一応、とある理屈は示されるが、なによりそれが明かされた後の展開は、もう本当にふわふわとした展開に突入するのでいよいよ悪夢めいてくる。エンドロールが流れた時には内心で「え!?」と驚き、なんだか頭の中がぐわんぐわんと回っているような感覚に襲われたわけで。

私が映画館で見た時、右隣に男女カップルが座っていたんですが、途中で女性が「かわいそすぎる……」とつぶやき、エンドロール後に男性が「わけわからん……」と言って立ち上がってましたが、本当にその言葉に集約されてるなって思います。

ちなみに左隣に座ってた老齢の女性は、鑑賞中に2・3回くらいいびきかきながら寝てました。まあでもそのくらい、平穏なようで実は何もかもが不穏という静かな映画でもあるので、見ながらげらげら笑える映画ではないです。あとなんかこの状況自体がすごいボーっぽいと後から思ったりもした。

ただでも、不穏、なんだよな……すべての画面がなんでああもう不穏なんだろうな……それもあってか、自分は終始奇妙な緊張感があって、頭がさえて変な精神状態に突入してる感じがありました。わかりやすい娯楽作ではないし、終始「どこいくんだこれ」と思わされるふらふら感があるけれど、何を描いていて何を描きたいのかはかなりはっきりわかる演出の冴えがあるので、退屈というのもちょっと違う感じ。

あとこれ地味に予算ががっつりかかってる映画なので、画面の作りこみや美術が目で楽しい。その全部には「不穏」の文字が張り付いているのでなお楽しい。

ここからは具体的なネタバレ含む話。

私はどうもボーを見ながら終始ヘレディタリーのことを思い出してました。この「別に何でもないのに何故か画面全体が不穏で目が離せない」が展開されて、そのうちドンとすごい展開がくる感じがすごい似ているなと。

なんといってもヘレディタリーの一番のトラウマである「屋根裏部屋に追い込まれる」展開がボーでもあり、実際に恐ろしい事態が起きますが、ボーではすかさず助けが入ってくるので助かりました。ホラーだったら見ながら死んでたけど、コメディ(?)だから助かった。

振り返ってみると、屋根裏部屋に入ってからのボーは「いうてなかなか母親に屈服しない」態度が完全に折れてしまい、精神が急激に変化してファンタジーに突入する感じはヘレディタリーの展開そのままなんですよね。

ヘレディタリーにおいては、むしろこの展開前後は「はい、ホラー映画のノルマですー」と言わんばかりの展開を詰め込んでみせてるんですが、ボーではより抽象的な何か突入していく。

そうやってジャンルという外枠、ノルマをなくした分だけ、アリ・アスター作品がずっと「語っていたもの」がよりむき出しになってわかりやすくなっているように感じました。

家族という牢獄、特に母系家族が子に注ぐ重圧。その話何回目だよ! と思っちゃうけど、正直自分としては身に覚えがばんばんあり、毎回描写の解像度の高さが見事すぎてなんもいえねえ。

べらぼうに映画が美味いんだけど、毎回初見で困惑させられる不思議なクリエイター。次回作もみるぜ!

映画「身代わり忠臣蔵」を見てきたよ

映画「身代わり忠臣蔵」を見てきたよ

映画話の前にちょっと自分の話なのですが。

よく言ってるように、わたくしは今年の正月は実家のある富山で震度5強を経験し、今は現住所の石川に戻って生活をしています。

ここはインフラも問題なく普通に生活できているんですが、実は地震の影響で、県内の映画館のいくつは1月半ばまで休止してまして。そういった関係もあって、2月に入ってようやく映画館にいけました。

また一つ日常が戻ったのかな~と思ってましたが、この映画見ている時間にこっちも震度2が起きてるんでやんの(記事投稿する数日前です) まだまだ非日常の中にあるのだな、と感じます。



嫌われ者の殿・吉良上野介(ムロツヨシ)が江戸城内で斬られ、あの世行き!
斬った赤穂藩主は当然切腹。だが、殿を失った吉良家も幕府の謀略によって、お家存亡の危機に!! そんな一族の大ピンチを切り抜けるべく、上野介にそっくりな弟の坊主・孝証(ムロツヨシ)が身代わりとなって幕府をダマす、前代未聞の【身代わりミッション】に挑む!
さらに、敵だったはずの赤穂藩家老・大石内蔵助(永山瑛太)と共謀して討ち入りを阻止するというまさかの事態に発展!? 幕府に吉良家に赤穂藩も入り乱れ、バレてはならない正体が…遂に!?


公式サイトより引用

正月といえば忠臣蔵だよな! とみてきました。2月だけど。正月が地震でぶっ飛んでしまったので、いまが正月ということで。

笑いあり涙あり不謹慎ネタありと、非常に楽しい人情ドラマでした。

忠臣蔵というといろんな切り口のある題材ですが、今回は事件の当事者である吉良上野介も浅野内匠頭も性格に難ありなキャラクターとして描かれ、それゆえ主人公である孝証と大石内蔵助が二人して「悩める上司に苦労する部下」と意気投合して事件を企てる……という点が面白いところで。

孝証と大石内蔵助が腐れ縁として出会い、そして互いに己の運命を知るまでの流れが楽しくも悲しい。

あくまでコメディではありますが、両者の死をもってしないと事態は止められないという悲劇性もあり、どちらの家にも守るべき生活たちがあり、そのために仮の当主としてふるまう二人の責任の追い方も丁寧でした。

それと、主人公が非武人ということもあり、なにかと武家社会の理屈で動きがちな題材の中で、適度にツッコミ入れてくれるのも個人的には良かったなと。「打ち首(死刑)より切腹(死刑)の方が名誉あること」とは、理解はできても理不尽だなと思ってるところに、孝証が「生きていてほしかった」と言ってくれるのは心地よい。

何百年前から大衆に愛される定番ドラマですが、現代ではなかなか作られないよね……っていうのは、10年以上前から聞いてましたが、いうて「決算!忠臣蔵(2019年)」「ラスト・ナイツ(2015年)」「最後の忠臣蔵(2010年)」など、それでもまだまだ定期的に作られてるよねと。あと直接的に扱わなくても「時は元禄……」から始まるタイプの時代劇、だいたいどこかで「この時、江戸では赤穂事件が起きており……」と登場するのもよくある。

それだけに時代の中で様々な変遷のあるドラマなので、いったいどんな潮流があったのか? というと、この番組がおすすめです。



私も見た後に聞きなおして、改めて今作の内容を考えたりもしました。

気軽に楽しくみられる一作としておすすめです。

映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を見てきたよ

映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を見てきたよ

封切り前のキービジュアルが好きで注目してたら、評判も良かったんで見てきたよ〜。



カッコいい!

現在放送中のテレビアニメの派生作品ながらに、基本的には独立した話なので特に事前チェックもなくすんなり見れました。

話自体は、戦後間もない日本の山村で起きる奇怪な殺人事件をめぐって、強大な権力を持った一族の謎に迫る……というもの。

太平洋戦争の出兵経験のある主人公・水木の視点を通し、民を虐げ搾取する権力者の存在を「売血」に重ねて描いていきます。

PG12指定だけあってはっきりと流血はありますが、個人的にはそこまで刺激的な要素には思えず……題材から言っても子供も見るかもしれないでしょうから、その線引きはあっていいよなと思ったくらい。ホラー要素に関しては風味があるだけでほぼないと思っていい。

ただ自分はこの辺かなり麻痺してるからな〜。次は北野監督の「首」も見たいんだよなって気軽に思ってるくらいなんで。

ともあれ、そんな重々しい舞台とテーマに対して、水木とゲゲ(鬼太郎の父)の交流シーンは軽やかで明るい。そこで育まれた絆と、陰惨な事件への対比が魅力でしょう。

多分今この日本で百億人くらい思ってると思うんですが、「ゴジラ-1.0でやんなかったことやってる」と思いました。

たまたまでしょうが、近い日付で封切りされたゴジラでは戦後日本の傷跡を描きながら戦争責任の描き方が曖昧で、戦争を賛美こそしないものの、「俺たちはもっと上手くやれたはず(上手くやれたら戦争にも勝てたはず?)」という思考が見える作りに対し、
本作では、主人公は出兵経験から権力志向を持つものの、しかし戦争により富と権力を得たものが人間も妖怪も搾取する様を見て、彼が絶望するまでを描いている。

戦争ってなんだったんだ? そこでは何が起きていたのか? 誰が傷ついて何が奪われたのか? そこへの道筋を描こうという意志を感じました。

終盤のあるシーンで、奪われ続け憎しみ続けていたものたちが、赤ん坊の鳴き声に反応して守ろうとする様は、栗原貞子の「生ましめんかな」を彷彿とさせます。

見ていて面白い映画ではありますが、難点を挙げるとすれば、女性の描き方でしょうか。

作中最も傷つき奪われていたとある女性に、できれば気持ちの整理をさせて欲しかったなと。

たとえ一番知られたくないことを知られて絶望しても、それでも自暴自棄にならなくていいと、どこかに回復の道はあるはずだと示せるような、彼女にそういう結論も欲しかったなと思います。

彼女はラストシーンでもチラリと出てきますが、演出から言っても別の人物の広義のケア要員のようにも描かれていて、そこはこれだけ他者に振り回されて奪われ続けた人間が、最後まで誰かの介添人として描かなくても良かったんじゃあないかなと。そういう気持ちも正直ありました。

ともあれ楽しい映画でした。

映画「マーベルズ」を観てきたぞ

映画「マーベルズ」を観てきたぞ

女性たちが元気に仲良くしてる洋画を見るのは楽しいな!!!

アメリカ映画において「女性監督は売れない」なんてまことしやかに言われていた時期もあったそうで、おいふざけんなよアメ公ども〜と思うことしばしば。

そうこうしているうちに、アナ雪で姉妹の連帯を描いて大ヒットし、女性ヒーローの女性監督映画「ワンダーウーマン」が興行的に大ヒットし、完全に女性主人公や女性監督ものの先が開いたのがここ10年のざっくりした潮流の一つだったなと。

ただし、個人的にワンダーウーマンに関しては、この10年でもトップクラスに言いたいことがある映画で。

シンプルに感想を言うと「ワンダーウーマン自身は女性で強くて大活躍できても、あいつは自分以外の女が嫌いかよくて無関心なんだから、多くの女性エンパワメントになりえんじゃろがい」というあたり。

彼女は単騎でバキバキやってるし、腕を組むのはいつだって男性だし、自分が惚れた男のために戦う。彼女の周りにいる女性とは、彼女が捨てた島に住んでる排他的な人たちか、彼女に「それって奴隷みたいね」と言われてる人くらいしかいない。

ワンダーウーマンに自身を投影できないなら、彼女に嫌われるか無視される対象にしかなんねーんだな〜って思うしかない映画だったなと。でもそれがバカスカ売れて、「これぞ新時代の女性像!」みたいな評も当時はいっぱいあったんすよ。イヤんなるね。

そうこうしてるうちにワンダーウーマンに数年遅れて、MCU映画群の中では初の単独ヒーロー映画としてデビューした前作「キャプテン・マーベル」。

軍人上がりのぶっきらぼうな態度で、MCUヒーローの中でも群を抜いたエネルギー量を誇る超強い女性ヒーロー。男性的とも言えるキャラクター像には、やっぱりどうにもワンダーウーマンの影が見える。

しかしキャプマでは彼女の親友にあたる女性が裏に表に協力し、それが彼女の支えにもなっていて、女性の連帯が表立って描かれていたことが当時の自分にはホッとする要素になっていました。

そんな続編に当たる今作「マーベルズ」では、はっきりと女性ヒーロー同士が協力し合う様が描かれていて、より自分に望ましい方向に向かっているなと安心しました。

作中ではディズニープリンセスっぽいパロディシーンがあったりして、私としては「女性が活躍することとは、男性的になることと同義である」という時代から、「女性らしいとされるものを捨てなくたって良い」という時代への進歩に感じるんですよね。

そういうテーマ性とは切り離して考えても、メインになる女性3人の連帯は見ていて微笑ましく、ニコニコしながら見てました。

資源問題を扱うテーマはシビアながらに、気の抜けたコメディも多々あるユーモアと陽気さが根っこにある映画で、MCUの良さってこういうとこだったよな〜と確認できる映画です。

映画「ゴジラ-1.0」を見てきたよ

映画「ゴジラ-1.0」を見てきたよ

とにかく同監督の「アルキメデスの大戦」を見てください。まず話はそこからだ。

多分世間的には「シン・ゴジラ」なり初代ゴジラなりと比較されるんだろうけども、同じ監督のアルキメデスの大戦とかなり直接的な対になっているし、完全にメッセージ性にも通じているわけですよ。

アルキメデスの大戦は、開戦に向かう日本軍部と、それを阻止したい主人公とその挫折を描いた映画で、特に映画冒頭で描かれる海上戦描写では「人的リソースを蔑ろにする日本軍と、人的リソースをできるだけ救済する敵軍」が描かれるんですが、ここは特にゴジラ見た人なら「あー」ってなるで絶対。

あと巨大戦艦の沈没をキノコ雲に被せてるシーンは、ゴジラでもほとんど同じ構図のシーンがありましたね。そういった細かい演出も、大筋としてもアルキメデスの大戦と本作ゴジラは一直線上に繋がる兄弟作品でしょう。

おそらくは企画や制作面でも、アルキメデスの大戦で昭和中期の描写、戦闘描写なども上手くいっただろうから、ゴジラもGOが出たよなと思うくらい、やっぱりキーになってた作品だったと思います。

個人的にもアルキメデスの大戦はとても好きな映画で、原作漫画もそこから読み始めたのですが、その一方で山崎監督の特徴もやっぱりすごく強くでた映画だったのだなとも感じてまして。

というのも、山崎監督の映画に感じるものとして、登場人物については作劇のためのポジションはあっても、人物像・キャラクター像ってものがすごく薄い。ドラマを盛り上げるための摩擦や障害としてのキャラがいるだけで、人間としての生感や実感が乏しい。

その結果、原作付きだとしばしば原作のキャラ像から大きく外れてしまうことが多々ある。アルキメデスの大戦でも、主要人物たちは原作とは名前が同じだけで性格や関わり方がガラッと変わっていました。

原作では疎遠に描かれる主人公とそれを慕う女学生が、映画では普通に親しげな間柄に描かれたり、原作では静かに付き従う従者が映画では主人公の無鉄砲さを止める立場になっていたり……総じて原作ではドライな人物像・相関図が、派手な摩擦やその後のドラマ上のひっくり返しが生じやすいものになっている。

ただ、アルキメデスの大戦はそこが作品にいい風に作用してるんですよね。

特に山場である会議シーンでは、ある種ポップな人物像が作用して迷走する会議も楽しく、っていうか「そりゃ迷走もするわ」と納得もでき、会議としての無意味さが強調され、軍拡に向かう方針がいかに無為であるかのメッセージに通じていく……

会議シーンは原作にあったものですが、映画独自の演出が加わることで、よりメッセージとして強化された例だったと思います。

で、やっとゴジラの話なんですが、アルキメデスの大戦をはじめとして過去作でも見受けられる登場人物たちの「作劇としてのポジション」ぶりが、自分の中でははっきり滑ってたなって。

例えばシンゴジラでは「ドラマがない」と批判されてたけども、マイナスワンでは「ドラマのガワだけがある」という感じ。

どうにも彼らの人生や価値観みたいなものが、スクリーンの向こう側に存在する人間のものとしては考えられずに、ただただ「このドラマに必要だから、この性格だしこの言動をする」に思える。

この人だからこれをしたとか、こんなことする人なんだという感触がない……主人公もしくはドラマを盛り上げる上でこういうことする必要あるよね、と思ったことを、次々と周囲の人物がやってくれてる。とある作中の悲劇についても、「これもしかして?」という予想から外れてなくてちょっと笑った。

展開の予想がつくのは悪いことではないし、これ自体はいつもの感じとも言えるんですが、じゃあそうまでして描いたメッセージがなんだったかと思うと、「敗残兵の個人的リベンジ」に終始しているのも乗り切れないところ。

個人が先の対戦について「上層部が良くなかった。俺たちはもっとうまくやれたはず」と思う気持ちはわかっても、本当にあの戦争で思うところはそれだけだったか? と思わずにはいられない。

もし上手くやれてたら……沖縄が決戦場になることはなく、原発は落とされずに、アメリカに落とし返してた? 東アジア圏の植民地化を成功させてた? そういうこと?

ゴジラというモチーフそのものが、元々が太平洋戦争にまつわる日本人の複雑な感情と反省をベースに生まれた存在であることを思えば、同じく「敗戦の記憶」をモチーフとして再びゴジラを描くのであれば、「戦争を起こしてしまった我々」への内省や批判感情はあって然るべきだったんじゃないか。

アルキメデスの大戦では、負けが見えてる戦争に傾倒する国への嘆きが描かれていたが、そのアンサーともいえる本作でいうことが、この「もっと上手くやれたはず」なのであれば、ひどい落胆を感じずにはいられない。

ゴジラで描かれる敗残兵たちのあの行動原理とは、アルキメデスの大戦で「この戦艦があれば我々は勝てる」といって建造を強行し、そして戦争に投じた軍部側の理屈にこそ近しいものじゃないでしょうか。

同じ展開をするにしても、もっと目配せはできたんじゃないかなー。

人物配置も含めて「大きなドラマの筋のためには細かい機微が抜け落ちて、そのために大きな筋の意味合いにも変化が出る」のも、この監督の癖だったなと。ユアストーリーも、同じ結論でももっとやれたことあるだろうって思うもんな……

映像表現は間違い無く日本トップレベルのものだし、それでいて日本的な感性バッチリで構築されてる絵作りは本当に見て楽しく、ワクワクするもので、それ見るだけでも楽しい映画です。

でも、映画を観た後に「あれ、でもなあ…」立ち止まって考えてしまう、そういう小骨がもしかすると心臓にまで届くような、そういう落ち着かなさも感じる映画でした。

映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」をみてきたよ

映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」をみてきたよ



本編がおよそ3時間30分あるんですけど、まー見ていてダレる瞬間がない。驚異的。

ノンフィクション小説が元になっているため、展開も事実に即してか抑揚も少なくかなり淡々と進むんですが、はっきりと「現実にある地獄のひとつ」であることが示されるためか、見ている間もつるつると飲み込めていく。

そう、地獄なんですよね。

1900年代アメリカ、迫害され白人文化への帰化が強要されつつある先住民族オセージ族の土地で、油田が発見されることから物語は始まります。オセージ族は油田からの利益を得たことで「世界最高の金持ち」と称さるまでになる。しかし、だからこそ、彼らは狙われる。

映画では原作小説から大きく構成を変えて、オセージ族を狙う白人たちの視点で終始話が進みます。

主人公は土地にやってきてすぐに、世話役で叔父の保安官から「オセージ族の女と結婚し、その財産を我らが一族に流し込め」と命じられるし、彼自身も夜道を歩いていたオセージ族から金品を強奪しては賭けに興じている。彼も彼の周囲も長年にわたってオセージ族への迫害と強奪を続けていく。強奪目当てのオセージ族の殺人には協力し、オセージ族自身が不審に思って調査を始めてもすぐに阻害する。

それでいて、主人公はしっかりオセージ族の女性と結婚するし、子供をもうけて愛情を持つまでになる。彼は妻を愛しながら、これまでオセージ族の殺人や隠ぺいに散々協力してきた人たちから渡される「薬」を与え続ける。そして、当然のように妻は弱っていく。

これは何の地獄だろうと思わずにはいられない。オセージ族からすれば同族たちが少しずつ殺されていき、白人の妻や夫さえ自分を裏切っている。不審な連続殺人事件に公権力は動かない。

淡々と、軽やかに、時にコミカルに描きますが、白人たちが先住民族に行ったことへの追及は容赦がない。クライマックスの会話シーンの顛末は切れ味にゾッとする。いやーほんとすごい。

それと個人的にちょっと思ったのは「英語とネイティブ言語の使い分け」がすごく丁寧だなと。

作中ではメインの言語である英語と、オセージ族の用いるネイティブ言語が入り混じるんですが、その使い分けがしっくりくる。オセージ族であっても英語話者とは英語で話すし、オセージ族同士だったりオセージ族が強い語調で話すときはネイティブ言語になる。白人側でもオセージ族と暮らしてるような人ならある程度まではオセージ族の言語も理解しているようでした。

これねー、最近ちょうど「ジョン・ウィック:コンセクエンス」「ザ・クリエイター」という、これはこれで「英語とネイティブ言語を使い分け」する映画を見たのでギャップを感じました。こっちの映画群、日本語も使うので特に気になったんですが、「なんでそのタイミングでネイティブになった??」と思うようなタイミングで切り替わるんですよね。

日本語話者同士の会話だけど、1語目は日本語で2語目はネイティブになるとか、英語での会話の途中で日本語しゃべって英語に戻るとか、いまいち一貫したルール性みたいなものがない。あくまでエッセンスとしてのネイティブ言語なので、別にそれ自体にあんまり意味がないんだろうなと。

で、そこへいくとフラワームーンの言語の切り分けは、自分が利く限り非常に自然で、日常にある範囲の切り分けに思えました。そういうところもモチーフとなっているオセージ族やその文化への敬意があるのかなと。

大変良い映画でしたが、余裕があればこちらのラジオ番組も聞くとより作品理解、歴史理解が深まるかも。

そもそもオセージ族が油田を見つけた土地にいたのも、すでにもともと住んでいた土地から追い出されて流れ着いた場所だとか、事件を解決に導いた操作組織も決して先住民に対して誠実な態度ではなかったことなども説明されていて、知れば知るほど本当にしんどい現実が見てくる。

それが現在のアメリカ国家の、そしてネイティブ・アメリカンたちへの理解にも通じて非常に楽しいコンテンツです。



良かったよー。

映画「BAD LANDS」を見てきたよ

映画「BAD LANDS」を見てきたよ

なんだか原田監督作品を毎年見てるような気がするぞと思ったら、ほんとに毎年公開されてた。いずれも結構な大作映画揃いと思いますが、ハイペースだな〜。

特殊詐欺グループいわゆる「オレオレ詐欺」を繰り返す犯罪グループに加担する姉と、刑務所上がりの弟を主人公とするピカレスクドラマ。

序盤で展開される詐欺グループの手口の巧妙さ、複雑さが、悪いことだってわかってるんだが「詐欺するのも大変なんだな…」と思わずにはいられないリアリティがあって引き込まれます。

加担する人たちも作中からして「最底辺の人間」と言われてる人たちですが、そこにはさまざまな個性があり、理性も、良心も、その人なりの義もあって、その中で生活をしている。悪人であることは間違い無いのに、キャラクターとしての魅力が発揮されてて目が離せない。どうしても情を寄せてしまう。上手いわ〜。

原田監督作品というと、独特の長台詞をかなり早口で言わせるため聞き取りがギリギリな時もあるんですが、今回はみんな関西弁という元々早い言語なもんで、それこそ漫才を聴いているようなテンポの良さがありました。まあ言われてるのはすっごい悪党談義だったりするが。

最底辺ながらに穏やかな生活と、一歩先には地獄が垣間見える社会。徐々に破滅に向かっていく姉弟のいく先に、思わずハラハラ見てしまって最後まで楽しめました。

そして本作、たぶんかなり大きく展開されている「娯楽作」の扱いだと思うし、実際とってもエンタメしてますが、内容はまさに今の日本を切り取った社会派エンタメでした。

詐欺グループが根城とするビルの壁にも、主人公を傷つけた過去にも、いずれも「金」を史上とする価値観がべったり見える。そしてそれらの背後には現代日本の政界が見える。

すぐにオマージュ元のわかる実際の政界スキャンダルを堂々と作劇に盛り込んでいるのは、やはり「この社会がこういう形をしている理由」を、作り手自身がはっきりとそこに見出しているからなのだろうと思います。

多くの人に見られてほしいなと思います。

映画「SAND LAND」を観てきたよ

映画「SAND LAND」を観てきたよ

もう結構前にな。イベント参加だ何だで感想書けてなかった。



砂漠が広がる世界で、水辺に暮らす習性のある鳥を追って、街の保安官が悪魔の王子とお付きの悪魔と共に、幻の水源を探すアドベンチャー映画です。

原作は随分前に雑誌連載字に読んでいて、ドラゴンボールを終えて良い感じにほぐれた鳥山明節が楽しかったなあという覚えがあります。

十年以上経って映画にするにあたり、映像化にあたってあちこち肉付けされた演出がハマっていてとても気持ちいい。

特に原作から補強されていた戦車戦は、戦略や戦術の読み合い含めてワクワクしました。

過去の罪と後悔を抱えた謎多き保安官が、悪魔とともに贖罪と救済の旅に出る……見た目のポップさとは裏腹に、渋いハードボイルド展開もグッとくる。

問答無用のハッピーエンドも爽やかで、「いい映画みたな〜」という満足度の高い一作でした。

「君たちはどう生きるか」を見てきたぞ。

「君たちはどう生きるか」を見てきたぞ。

公式サイトも何もないんだなほんとに! なにもないのもさみしいので、主題歌の動画貼っておきます。



タイトル聞いた瞬間「うるせーーーーー説教すんなーーーーーー」と思ったものですが、中身を見た後も同じ気持ちです。

こう、感じ方としては、「千と千尋の神隠し」が明るい気持ちで冒険した夢で、アッパーな悪夢が「崖の上のポニョ」なら、今作は心身がまいってる時に毎晩うなされてみる悪夢みたいな映画だなと。

カエルや鳥のような、人間からは意志や自我が見えにくい生物が、よくわからんままに群れを成してこちらにグワーッと迫ってくるシーンが度々ありましたが、ああいう夢あるよねと。虫に集られる悪夢とかね。

実際に作中で描かれる主人公とは、衣食住には足りているけど心がどうにも追いつかない環境に追いやられてるわけで。

実母の死、死の間際の悪夢、実母とそっくりな顔した新しい母親、慣れない田舎の空気、へつらってはいるけどしたたかな老人たち、いつのまにかその女性と父親の間で作られていた子供、強権的で子供の事情を顧みない父親……表面上は躾の行き届いた礼儀正しい少年ながら、言葉少ない姿にじわじわと重圧が迫ってくる。

そういった彼が、夢と現の合間で、心に一区切りをつけるための夢のような映画だったなと。

全体的に淡々としていて、説明も少なく、主人公も周囲に慌てて説明や助ける求めるような性格ではないため、観客としてはぼーっとしてると「なんだっけこれ」みたいな映像になってくる。脈絡のない状況が淡々と覆いかぶさってくるような、そういうところもちょっと夢っぽい。

非常に自己完結的な内容だけど、完全に閉じているわけではない。なんつったって「君たちはどう生きるか」なのだから。

なにか置き土産をされたとは思うんですが、いまはとりあえず「うるせーーーーーーーー」って気持ちです。あとでまた見ますたぶん。

「ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE」を見てきたぞ。

「ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE」を見てきたぞ。



我らがトム・クルーズさんの最新作だぞー!!

まあ内容はいつものMIなんですが、作ってる方も「いつものでーす」と差し出してくれてて、オープニングから「今回は最初から無法者ってわけ?」と観客を安心させてくれる。

と思いきや、近作とは少し雰囲気が違っていて、割とここ数作は「ド頭から度肝抜かれるドアクションをかます」が定番でしたが、予告で散々みせてた飛び降りシーンは最終盤の見せ場に。その代わり、初期作にあったような小さい小競り合いシーンが重視されていた気がします。一応ちゃんと毎回「このミッションは無理だ!」ってくらい、状況が追い詰められてるの良いですね。

とはいえ、やっぱりここ数作と比べるとちょっと味が薄い気がするかな。小さいインポッシブルはあっても、切り抜け方があんまりしっくりこないというか。もみ合いになってどうにかこうにかやりすごして切り抜いた、を毎回繰り返すのであんまり爽快感がない。

今回の宝物がごく小さなアイテムなもんで「あいつに触れたら盗むので勝てる」みたいな、小ルールがあったのはちょっと面白かったですね。でもそれも、結構小さい小手先技術で切り抜けちゃうので大胆さにはかけるかなあ。

よっぽどアクションシーンに力を入れすぎてて、全体のバランスが悪くなってるんだろか。

まあ続編は見ます。今度は何をするんだトム。

あとこの映画も続きものなんだわ……スパイダーマン、ワイスピ、リベンジャーズ、キングダム3に引き続きまた……どうなってるんだ今年の映画界……。

「キングダム 運命の炎」見てきたぞ。

「キングダム 運命の炎」見てきたぞ。

なおキングダムは原作・アニメ未読の実写映画勢です。よろしくお願いいたします。



1作目を見てから「どひゃー!売れろ!!!!」と思っていたけど、ちゃんと売れてシリーズ化していて大変喜ばしい。

日本映画でどうにも長らく弱かったアクションブロックバスター映画として「うわーーーーちゃんとしてるうーーーーーー!!!」と感動した1作目。とはいえ、今思うとこのころはまだ戦いが小規模活散発的で、周囲ではわーわー戦いが繰り広げられていますが、あくまで個人の戦いが基本ベースだったなと。

それら踏まえてこの3作目では「集団の闘い」に焦点が置かれている。個と個の闘いよりも「全体で勝つことが重視される」局面を主としよう、というのが全体に敷かれているように感じました。

前半のメインである逃走劇では、結果からいえば「複数いた仲間が全員倒されてしまっている」わけですが、ここでは「この1人が生き残ってゴールにたどり着けば勝ち」というルールのもと作劇がされている。

後半のメインである平原の闘いでは攻守が逆転し、「味方がどうあろうとも、あの一人を倒せばこちらの勝ち」というルールで動いている。

単純な力の押し合いだけではなく、そこには策の読みあいがあり、なんならじっとそこで待機している間もじりじりと事態が動く。そういう緊張感の置き方が非常にうまくてうまい。

そのおかげで、結構顔芸シーンが多いというか、棒立ちのキャストに対して「…とこの軍師は考えている」というモノローグをかぶせるシーンが多くて、割と動きのないシーンも多いんですよね。軍議のシーンも長くて、1・2作目にあるような総キャスト入り乱れて大乱闘みたいなシーンは結構少ない。

ただ、わざわざ客観的に観察する説明役をキャラとしておき、全体の配置や状況を説明してくれてる。それだけしっかり説明しているおかげで状況がわかりやすいし、そのわかりやすさがちゃんと展開の緊張感に繋がっている。

こういうブロックバスター映画だと、売れてシリーズ化はしたけど製作がダレて残念になりそうなものだけど、ちゃんとクオリティコントロールがされて、アクションも高品質で、非常に稀有な日本映画になってるんじゃないでしょうか。

まあ続き物だが!!! 今年見た映画の半分くらい「次回に続く!!」ってなってる気がする…スパイダーマンしかり、ワイスピしかり、リベンジャーズしかり…。

超いいところで終わってるので続編も楽しみです。

「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」観てきた!

「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」観てきた!




タイトル長い!! 本編も長い!! 見てきた直後にこれ書いてるけど頭痛い!! 悪い意味じゃないよ!!



前作は近場の映画館でやんなくてブースカしてたら、あれよあれよとアカデミー賞もとるし、その続編ともなるとうちのような地域にもやってくるんだなっていう。

様々な画風が入り乱れる上に、スパイダーマン映画の特徴でもあるスピーディで立体的な映像、小粋なセリフの掛け合いの応酬など、情報で頭揺さぶられる。

情報量が多いのに、いわゆる「ごちゃごちゃ」というだけではなく適度に整理されていて、映画的なテクニカルな場面切り替えのパスもあったりして絵がうめえ。構図の撮り方やポーズの指示が全部決まっててうまい。絵が上手い人は絵が上手い。

観てからしばらく頭痛いんだけど、これ多分映画見ることにエネルギー使ったからだと思う。

ストーリーはいろんな要素が重なってて「そりゃあこの長尺でも終わりませんわ」と思った。

それでいて手際がいい。冒頭のグウェンの生い立ち、並の映画ならこの話で60分使うよね? って展開が綺麗に収まっててぎえええってなる。

彼女の「帰ったら生きていられない(だから失敗できないし今の場所に必死になる)」という立場は、あらゆるマイノリティに通じるし、日本の入管問題とも重なって痛烈に刺さる。

でもやっぱり要素が多い。グウェン側はともかく、マイルス側のストーリーが4つ5つくらいあるよね……今作だけだと「どれも触りだけ始めました」という感じで、中盤は「またなんかやるの?」とも思っちゃう。

ただこの辺、長くてエネルギー使う映画なので、こっちのエネルギー切れと重なったのもあると思う……。

テーマとして、親子の断絶、10代の閉塞感と孤独、上世代と下世代の摩擦など、非常に普遍的なアメリカ青春ストーリーで、特にマイルスやグウェンらの等身大の青少年像は見てて気持ちがいい。

それらのキャラ造形も、細かなアニメーションが生み出す機微によって成立していて、絵が上手いってことは映画も上手い。

一方で、大筋としては「まあいうてこの辺に着地するのでは」という予想もしやすい。

私としては、出てくる大人世代は全部ぶっ飛ばそう! めちゃくちゃにしようマイルス!! って思うんだが、でもマイルスはめちゃくちゃにはしないんだと思う。

なぜなら、スパイダーマンの運命に従順になることも、反抗することも、「どの大人を助けるか」という形でしか用意されてないから。

言うなれば、マイルスが「どの大人をモデルとするか?」の選択を迫られてるんだと思う。別バースのマイルスは、まさにそういうことの示唆なんだろうと。

昔からマイルスの父親みたいに「お前のためなんだぞ」と言って抑圧しては、その裏では「俺が間違ってるか?」と夫婦間とかで悩んでる親表彰ってものが、少なくとも子供向けやティーンズ向けに出てくるのがすごい嫌で。でもそういうのだいたい、そこのジャンルにしか出てこない。

原初の映画体験のころから、子供の自分と、付き添いで隣で見てる親への忖度を見せられてるみたいで嫌だった。

子供を守護の対象といいつつ、でも「俺のことをお前たちも理解して敬うべき(そうだったら俺の気持ちが少しは晴れるのに)」という、親や大人という人間の下心と甘えがチラッチラと向けられてることくらい、子供だってわかりますよ。

親子じゃなくても、上世代でできなかったことを下世代が壊そうとすることに、必死になる大人たちにも似たような甘えを感じる。俺らの介錯をしてくれと。自分で腹切ってから言え。

やっぱり無責任な大人どもはもう全部ぶち壊そうぜ!!!!! 提示されてるどのモデルにもならんでいいじゃん!!!!!! 

できることなら、そこからもう二転三転の発展と飛躍が後半にあることを祈ってます。

面白かった〜。次はジュースとポップコーンで補給しながら見ます。
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