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南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

2025年8月11日 この範囲を時系列順で読む

ポッドキャスト「生生裏裏」が面白いって話と、ランキングの希釈化の話

ポッドキャスト「生生裏裏」が面白いって話と、ランキングの希釈化の話

日常で、隙があればラジオや配信などをつけては耳から何かを聞いている生活をしているんですが、最近聞き始めたポッドキャスト番組「生生裏裏 」が面白いです。

成人向けコミックス分野でプロとして活動するまんのさんと、1冊目の同人誌制作を進めているでじまるさんのお二人が、成人向け漫画や同人文化の話題を中心にお話している番組です。

自分も、一同人屋の観点でちょっと畑は違うけど近しい場所の話を聞けるのが興味深いし、制作者視点でのエロ漫画、エロなるものについての語りが新鮮で楽しいです。

で、最近聞いて興味深かった回がこちら。



この背景として、今年6月、FANZA同人でAI作品がランキング上位を占めたことがあり、その結果プラットフォームが対応を迫られたことがありました。それを受けて、FANZA同人に作品を卸している作家としての見解を話していらっしゃるんですね。

FANZA、AI生成作品を隔離 今夏以降に表示制限を実施予定

ちなみに私のAI技術へのスタンスですが、チャット型AIを日常的に利用しており、また2023年当時は「試しに使ってみるか」と、AIイラストから自作絵を描いてみる という記事も書きました。さらに言えば、普段からイラストを見るのが好きなのでピンときたクリエイターは積極的にフォローしていますが、最近はちらほらとイラスト系AI生成者で「この人の作品傾向いいな」と普通に惹かれてフォローしている方がいます。

前述の記事を書く際には著作権法などを調べましたが、個人的にも日本の現行法の主旨である「機械学習の段階では不問とするが、出力段階で問題があれば他の著作権法と同じくジャッジされる」という落としどころは、末端の一創作者としても納得度の高い法整備だな、と評価しています。ただ、現段階ではこの「出力段階」のジャッジがまだ不定で、問題が起きた時の具体的な道筋が弱く、とはいえおそらく今後数年で大まか固まるだろうと国内外の報道には気を付けてみている……という人が以降を書いていると思って読んでください。

話戻しまして、この生生裏裏で話されているのは、巷でよくみかけるようなAI技術の是非論ではなく「実際にAI生成者が既存市場で台頭したら」という現実の脅威論だと思いました。

曰く、人気のプラットフォームでAI作品の売り上げが上位にくる現象は、「消費者の多くはAIだからと区別しないし、中身にピンとくれば買うことが証明された」と。そこからさらに「既存の作家からすれば、AI生成者の、特に作品を出す『速度』が驚異的だし非常に厳しい」という主旨で話を掘り下げています。

詳しい内容はぜひラジオ本編を聞いてほしいのですが、これ聞いて思い出した話がありました。

動きはじめた米国AI著作権判決と、 控えめにいって大騒動な米国AI著作権法論議の記録帳 福井健策|コラム | 骨董通り法律事務所 For the Arts

こちらは弁護士・福井健策さんが、最近の米国におけるAI裁判の動向をまとめたものです。

福井弁護士は長らく日本のアニメ・漫画・ゲームなどの文化に対する法律の専門家として活躍されており、また日本におけるAI法整備の議論にも関わっている方です。私自身、前述の記事を書いた際にも福井弁護士の解説記事は非常に参考にさせてもらいました。

で、思い出したのはこの部分。

報告書はここで、「原作の潜在的市場への影響」は狭く解釈すべきではないとして、AIがコンテンツを生成するスピードと規模は、学習されたものと同種の作品の市場を希薄化させる深刻なリスクをもたらすと明言しました。

これら一連の現象について「市場の希釈化(market dilution)」と表現されています。これはあくまで米国における裁判例ですが、ここで語られている「同種の作品の市場を希薄化させる深刻なリスク」とは、まさにこのFANZA同人ランキング問題のことですよねと。

AI生成者の作品が、すぐにすべてのランキングを塗り替えるということはないものの、このままだったらすぐにそうなるだろう、という実感をもたせるに十分なインパクトがありました。

正直話題として取り上げたものの、具体的な意見や主張があるわけではないんですが、ただこの「AI生成者の生産力に負けてしまうのではないか(ていうかすでに勝ち目ないよね)」という実感は、それこそ一クリエイターとしても肌感としてよくわかるんですよね。

なぜならAI生成者の人をフォローしているから。いい絵だなと一閲覧者の視点では思う一方で、やっぱりこの密度でこの速度はすごいねって一創作者として思っている。

とはいえ、私個人は昔から筆が遅いしめんどうくさがりで、AI使ってなくても私より高品質・高頻度で作品を出し続けている同人屋は山ほどいて、そういう意味では「勝ったことがない」人間なので、そこにAI生成者の層が増えたところで「まあ……あんま変わらんか」という気持ちもある(実際はそれどころではない規模で増えてるんだが) おそらく生生裏裏のお2人よりははちゃめちゃに楽観視しているところある。

さらに言えば、今現在AIを活用している商業フィールドにおける作家・映像作家さんもフォローしていて、いずれも技術に可能性は見出しつつも、現実にはめっちゃ手間暇かかってる様も見聞きしていて、「これ、実際に使うとなったらそれはそれで高度なオペレーション技術が必要なのでは」という実感もあります。



こちらのチャンネルを運営している三宅隆太監督は、代表作として「ほんとにあった怖い話」シリーズや映画「呪怨 白い老女」など、主にホラーの分野で現在も第一線で活躍する映像作家さんです。そんな方が、積極的に生成AI技術の実験とそのノウハウの周知をされているということで、私も興味を持ってフォローしていました。

なんで三宅監督がこんなことしているかというと、「現代の映画製作とは純粋なクリエイティブ技術以外にも、組織や企業に所属しその中で立ち回る術が要求されている。でも、そこに属さないでもクリエイティブできる方法も模索したい」と、プロとして活躍する方だからこその観点で活動されているんですね。その辺の話をしているのがこちらのラジオ。



今あげたいろんな話とは、遠いようで裏表というか。

結局これまでの古典的手法とは違うクリエイト手段が生じたことで、それまでに手段を持ってなかった人にも手段を持ちうるようになったよねという話でもあるし(私はそれ自体はとても喜ばしい技術の発展と思っています)、でもだからこそ新たな生産力が濁流のように生まれて、おぼれそうになる既存クリエイターもそりゃいますよね、という話にも行きつく。

その流れがどこにいくのかわまーったくわかんないし、あちこちで摩擦が起きてるのもよくわかる。

なので迂闊なことはいえないけども、それでも個人的にいえることがあるとすれば、いまのAI周りの濁流は00年代くらいのインターネットを取り巻く空気に似てるなあと。

私は90年代終盤から四半世紀ほどネットにどっぷりの人生なんですが、00年代当時はまだアングラな空気が色濃く、実際に違法アップロードなどが今よりもっとネット利用者の近くにあったと思います(量的にはたぶん現代の方が多いんだろうけど、意識の上でね) それでいて日に日にインターネットの社会における影響力は増していたので無視することもできず、テレビはじめとしたマスメディアは警戒態勢をとっていたなと。「使ってるだけで業界人からは悪者扱いされる」とは当時芸能人やタレントさんの裏話でよく聞きました。

それでネットはどうなったかというと、もちろんインターネット自体はなくならないけど、権利的にクリーンなコンテンツの流通が増え、一部にはサブスク映像プラットフォームや電子書籍コミックなどの市場全体に大きな存在感を持つプレイヤーも生まれて、今となっては多くの人にとって、もしくは社会構造としてなくてはならないものになっている。

それでいて当時のアングラな空気は、少なくともネットの主流からは外れていったようにも思います。特に海賊版やデッドコピーなどに対する意識は、実際の裁判や判例が重なるにつれて、大きく変わっていますよねと。

その動きと同じになるのか全く異なるものになるのかはわからんけど、AIの今後に注目はしています。

話がそれまくったけど、ポッドキャスト番組「生生裏裏 」は他にも面白い話がいっぱいなので、気になる方は毎週チェックだぜ!

2025年8月8日 この範囲を時系列順で読む

「異常気象」の話をしてくれるラジオ思い出した

「異常気象」の話をしてくれるラジオ思い出した

わたくし、日本国石川県在住なのですが、ここ2日間の集中豪雨を受けて思い出したラジオ番組がござったんですよ。



【特集】今年の夏は、史上最も暑い夏。世界各地で起こる『異常気象』に私たちどう向き合えば良いのか
【出演】江守正多さん(東京大学未来ビジョン研究センター教授)

2024年9月16日(月)放送分


昨年7月の番組ですが、全然いまも通じる内容だなと。

やっぱり近年の異常気象は温暖化効果ガスの影響が強く、温度上昇の限界値は「1.5℃」とされているが、現在は「1.34℃」まできていてとても崖っぷちであると。

前半の現状についてはなかなか気が重くなる話なんですが、「じゃあどうすれば?」という話については「エアコンを使わないというのはやめてくれ」とはっきり言う。「エアコンを使っても二酸化炭素を出さなければいい」とし、再生可能エネルギーの割合の高い電力会社に切り替えるとか、太陽光による自家発電設備を備えるといった対策についても触れてくれます。

印象的だったのは、気候変動のような途方もない問題とは人間が考え続けるには複雑すぎたり、罪悪感を覚えてしまいがちなので考えないようになってしまう心理面があるというもの。

その気持ちすごいわかるな~~~と思うけども、しかしこれだけ気温上昇が明らかで雨や雪の降り方が変わっている中、一方で「なぜこうなっているのか? それでどうすればいいんだろう?」という疑問が最も高まるのもこの暑い最中なんだよねえと。

実際この番組では、国内の気象予報士や研究者の方が、気候変動について積極的に発信を行っていこうと声明を出したことにも触れています。つらいから考えないのもわかるけれど、でも「どうにかしたい」と思うのも人間の良心だと思うわけで、少しでも良くしていきたいよなと聞きなおしながら思いました。

2025年8月6日 この範囲を時系列順で読む

「MOTHERのかたち。」展に行ってきました

「MOTHERのかたち。」展に行ってきました

別件で上京するタイミングがあり、たまたま開催期間に被っていて「行くなら今しかねえ!」とちょっと時間を押して行ってきました。

20250806132402-natukusa.jpeg

約30年前に取説の写真で見てきた実物が、つい数日前に完成したかのような鮮やかさでびっくり。

さらに言えば、ゲームは何度も遊んでいるので見慣れた造型……と思いきや、背中とか脇まで作り込まれていて、「ここ、こうなっとるんかい」と新鮮な気持ちになれたという。

一番驚いたのがオレンジキットの顔立ち。鼻筋がスッと高くて、まあ、これはモテるか……ってなりました。お前そんな顔だったのか。

2025年7月28日 この範囲を時系列順で読む

あのアレどこ更新しました上半期振り返り

あのアレどこ更新しました上半期振り返り

あんだけ読み返したのに公開後1分で誤字をみつける。もうだめだ。

https://anodoko.net/blog/

集計記事とはまた違う意味で気を張るんですけど、好き勝手書いていいという意味では気楽です。

ただ、データ面では嘘をつけないのと、何かへの攻撃にはならないようには慎重に書いているつもりです。投稿5分前になって消した段落とか結構ある。

あと長くなりすぎるので消したデータも結構あります。記事かくたびにそういう取りこぼしがぼちぼち発生して、それはそれで別記事だしたいくらいにたまってる。でも時流が過ぎちゃってもう無理ってネタも多い。

でもなー、コミケの50周年記念調査の公開前に、前回までの調査データの振り返りはやりたいんだよなー。どうにか滑り込めないかなー。

お前の分析だいたい的外れだぞ! って意見については全面的に賛同します。私もそう思う。全然的を射ない。できるだけ的に寄せるように頑張ってはみたけどすまん。嘘や妄言ではない範囲にするのが精一杯です。

気がついたら同人誌制作のスケジュールがヤバくなってきたので、秋にかけてはSNSの個人アカウントへの投稿も少し大人しくなると思います。進捗は出します。あと趣味の絵は息抜きに書きます。画材も買います。やるぞ。

#あのアレどこ

2025年7月20日 この範囲を時系列順で読む

映画「スーパーマン」をみてきた

映画「スーパーマン」をみてきた

夏休みが始まり映画館の開場も朝7時に早まり、文字通り朝一の回でスーパーマンみてきて序盤からありえんくらいべっしょべしょに泣き腫らしてしまい、帰ってきても思い返しては涙が出てきて泣きすぎて頭痛がでて寝込んで休んでいまここです。



https://wwws.warnerbros.co.jp/superman/

誰もが知る「ヒーロー」といえばこの、説明不要のスーパーマン。実写映画でも時代ごとに何度もリメイクされ、その時その時のヒーロー像を描いてきたモチーフでしょう。私も80年代のクリストファー・リーブ版から始まり、近年のマンオブスティールまで、その間に合ったいくつかの作品も含めて数年おきに彼の姿を見てきました。

それぞれに良いところも悪いとこも思うところはあるけど、今作でなにがこんなにびーびー泣いてしまったかって、映画の中で描かれる人々の姿に感銘してました。

序盤、初っ端から苦戦するスーパーマンに一市民の男性が「あんた俺を助けてくれただろう」といって駆け寄って助け起こす姿にまずぶわっと高まり、彼のその後の顛末に悲しくて悔しくて涙し、同じく作中で彼の死を悔やむ人々にまた泣いてしまい、最後の一幕で新聞に彼の写真があることにとどめさされてしばらく立ち上がれなくなってしまう。

そう、彼が、彼のような、ひ弱で素朴で、けれど誰よりも強い人が居るから、私たちはこの世界をあきらめきれない。この世界には善性があるんだって信じたい。彼がいたからあの戦争を止めたいと強く思うし、世界が平和であってほしい。まさに彼があの世界の戦争を止めたんだ。

今作のスーパーマンが人一倍「人間くさい」と評されるのをしばしばみますが、個人的にはスーパーマン自身は別にいつもだいたい同じ悩み方をしていて、それこそ歴代でも最も「神聖視」が強調されたマンオブスティールと今作も大きな差を感じないというのが正直なところで。じゃあなにがそんなに違うように見えるのかといえば、スーパーマンとその周囲の人間の距離感や描き方では、と思うんですよね。

強大な力と孤独な立場と、時に柔らかすぎる優しさがスーパーマンの共通要素と思いますが、今作ではその彼の周囲にヒーローにしろ普通の人間たちにしろ、スーパーマンとは違う形で、でもちゃんとそれぞれの立場で世界のために行動する人たちがいる。それがスーパーマンの孤独さを相対的に薄めているんじゃないかと思います。

利益重視の企業所属ヒーローたちでも実利を超えた正義感で人を助け、お気楽そうに見えた人も聡明に行動し、クラークの両親は「親は子に役目を与えるのではなく、手段を用意するだけ」と言って生まれからくる呪いを解いて息子の背中を押し、ジャーナリストたちは報道の力で悪を刺す。

それはスーパーマンとは違う、スーパーマンにはできない戦い方で世界を良くしようとする人々でもある。それがこの映画の最後にスーパーマンが語る「みな本当は強い人間であるんだ」という言葉の証明になる。

逆にいえば、マンオブスティールはじめとしたDCEUのスーパーマンは友達がいなさすぎるんだよな……周囲のヒーローたちも距離置いてくるしさ……その距離感があの映画の「神聖視」の中身だよねと。それはそれでわかるものではあるんだけども。

それ以外では、今作のヒーロー像としてめちゃくちゃ「人命救助」にフィーチャーしてたのが良かったですね。近年のアメコミヒーローものといえばマーベル映画シリーズですけど、最近は「世界を滅ぼしかねない巨悪を倒す」とかは毎回やってますが、「いま危機にある人たちを助ける」シーンが年々少なくなってきてるような……今作は「でもヒーローのヒーローたる所以とは、窮地にある誰かを助けることではないのかよ!」という気概があって良かったです。

そんなマーベル映画も、最初に登場した2010年初頭はさらにその前時代に席巻していたダークナイトやX-MENのような「シックでダークなヒーロー像」に対して、「状況はシリアスでも、根っこに陽気さ明るさを持って世界を助ける」というヒーロー像で差別化し成功した例でもあったんですが、いままたそのヒーロー像が更新されているタイミングに来ているのだなあと感慨深くなりました。

今作の監督がマーベル映画で一躍注目されたジェームズ・ガンであるというのも、めぐりあわせを感じるところです(ジェームズ・ガンが過去の発言が問題視されて、一晩でディズニーから契約切られたときはびっくりしたな~)

今作のスーパーマンはまさに「今」のヒーロー像で、作中で描かれた侵略戦争は明らかにイスラエルによるパレスチナ侵攻を示しているよなあと。

作中でも侵略国家とアメリカ合衆国は「友好国」とされており、アメリカ企業はこの国に格安で武器を売り出し後援している。「侵略側にも言い分はあるし」と渋る世論に対して、スーパーマンは「いまそこで人々が殺されそうになっているんだぞ!」と一括する。

そう、そうなんだよ、複雑な背景があるからって、でもいまそこで武装した軍隊に、巨大な資本に、無差別に殺されている市民がいる。それを止めることに何の理由がいるのか。虐殺を止めて、「虐殺をしない」としたうえで問題の解決に進みましょうって。その心は止められないでしょうよ。

ひとつ思い出したことがありました。東北大震災が起きた直後に書かれたブログ記事で、「おそらくこの災害を描いた絵がこれからいっぱい生みだされるだろう。そこには既存のヒーローたちが駆けつけて、人々を助ける絵が描かれるだろう。でも、現実に、津波に飲まれたその瞬間にヒーローたちはいないんだ」という主旨が淡々と書かれていたのが印象的で、今も災害報道を見るたびそれを思い出すし、昨年の能登地震を被災した時にも思い返していました。

確かにそうなんだと思う。フィクションのヒーローたちはいなくて、戦争も災害もそうだし、私がむかし事故にあった瞬間も助けにくるヒーローはいなかった。

でもさ、決定的に助けられる人はいなくても、それでも助けたいっておもうんだよ。助けたいと思ってくれた見も知らない人が駆けつけてくれたから、私もいまここに生きていられる。つらい立場の人が居ることを知って、何かできないかと自然と湧き上がるその気持ちをきっと善性と呼ぶんだとおもうし、「そんな善性が、この世界にはあるんだ」と人々の心に宿すアイコンとしてヒーローたちは生み出されたんじゃないか。そう思うんですよ。

映画見た後、いてもたってもいられなくなってガザ支援の募金に少額ながら突っ込んできた。その気持ちをより強くして、選挙も行きました(もともと行く予定だった) 世界平和が早く訪れるようにと改めて祈ります。そういう力のある映画だと思いました。

2025年7月17日 この範囲を時系列順で読む

季刊エス Vol. 90「中村佑介 シゴトバ探訪 とあるアラ子」記事を読んだ

季刊エス Vol. 90「中村佑介 シゴトバ探訪 とあるアラ子」記事を読んだ

わたくし、姉妹紙も含めて十年以上、「季刊エス」を紙媒体で定期購入しているんですが、今回は気になった記事がありました。



イラストレーター・中村佑介さんがインタビュアーとなって、様々なクリエイターに突撃インタビューする連載記事「中村佑介 シゴトバ探訪」。

中村さんはもちろん優れた「絵描き」であると同時に、とにかく言葉での発信にも誠実で積極的な方という印象で、この連載も毎回鋭い意見が飛び交う内容でとても楽しく読んでいます。過去に発行された書籍「みんなのイラスト教室」は、いわゆるご本人の作成手順を記したイラストメイキング本ではなく、絵描きを志す人の技術向上を目指す文字通りの「教本」といった内容で、当時は感銘を受けたし今でも折に触れて読み返しています。

この連載も、単に対談相手の言葉を引き出すインタビュー記事というよりは、中村さん自身が迷っていること悩んでいること、時には社会との軋轢なども踏まえて他のプロクリエイターと意見交換する趣が強い。

今回は「ブスなんて言わないで」を連載中のとあるアラ子さんを相手に、冒頭から「女性がルッキズムで苦しめられているのを理解しつつ、しかし自分たち絵描きも絵の中で美しさを強調し、この苦しみに加担して再生産していないだろうか?」という主旨で、直球の疑問を投げかけています。

正直、木っ端なアマチュア絵描きの自分でさえも、この悩みは常々考えてしまいます。特に自分はオリジナル作品を書きだすにあたって、キャラクターメイクの過程で「この人はこういう役割で、こういう性格だから、こういう外見・名前・出身・生い立ちをしている」という作り方をしており、そこで「……これってつまりは、自分の中の『こういう人とはこういう背景があるものだ』という偏見の発露ではないか?」という悩みにぶつかったことがあります。

今も特段そこに何か結論があるわけではなくずっと悩んでいるし、なんなら二次創作をしているときでも頭に浮かびます。月並みなことではあるけど、そこにある一種の偏見という攻撃性を意識しながら気を付けていくしかない……刃物がないと生活がままならないけど、刃物の扱いは常に気を付けないと自他を傷つけかねないから、と消極的に考えるくらい。

それはそれとして私は昔から洋画が好きなんですが、アメリカ映画はここ20年ほどで価値観の大転換があり、映画の中でも有色人種やセクシャルマイノリティの存在感が大きく変わっていきました。いまでこそ随分定着しましたが、この前時代の過渡期は自分から見ても「あくまで白人中心主義をゆずらないままで行われる『ご配慮』」というような、荒っぽく、傲慢な態度が作品鑑賞を通じてもわかるくらいに蔓延していた時代あったよな~と。実例を見ているだけに、あれは、本当に嫌だなあって思うんです。

その一方で、特に女性運動の文脈にあるフェミニズム映画(とよばれる映画群)も近年はよく見てきましたが、それらは「男性中心社会の解体」という通底したテーマであり、さまざまな社会への洞察に共感と納得する一方で、「それはそれとして、そこにいる男性個人を傷つけたいわけじゃないんだよな」という思いも自然にポップする。

建前として「これは悪しき構造の解体を目指しているわけで、男性という性質を持った誰かを傷つけたいわけではない」とは考えるものの、いうても自分と同じ性質の登場人物の立ち振る舞いや価値観からメタメタにされてるのをみて、男性たちは自分自身と全く切り離して考えられるだろうか。

それこそ、女性に対する偏見や抑圧というものも、同じような形で私を傷つけてなかっただろうか。社会の構造や根付いた価値観なんかどうでもよくて、ただただ私怨を表現を通じてやり返して気分が良くなっているだけの自分がそこにはいないか、と考えてしまう時がある。記事の中でアラ子さんが語るような、冷静になりきれない凶暴性が、自分の中にあるのを自覚します。

中村さんとアラ子さんは「常に記号性を問い直し、時代に合わせて気を付けていくしかない」とは話していますが、それが完ぺきではないこと、そこから外れた人を非難しきれないこと、追いつけない人たちも否定したくないと率直に話し合っていて、そうなんだよなあと頷きながら読んでました。

読んでからしばらくそのことを考えてしまうくらいには、とても意義深い記事でした。おそらくネットには上がらない記事と思いますが、最近の季刊エスは主要ストアの電子版もあるので興味ある方は是非どうぞ。

https://www.s-ss-s.com/s/90

2025年7月9日 この範囲を時系列順で読む

あのどこ更新しました in 星に願いを2

あのどこ更新しました in 星に願いを2

更新わよ

https://anodoko.net/blog/

これでいったん(自分が設定した)上半期分は完了。ぼちぼち振り返り記事を書きます。

イベントの傾向や感じてることはその時に書こうと思いますが、ぼちぼちブログメディアととしても体裁整えていけないかな~と思っている。

実はわたくし、noteにアカウントを持っており、過去にたまたまバズッた記事をいくつか持っているんですが、利用規約が変わったとかで運営から公開停止状態になってるんですよね。記事の中には同人文化に関したものもあって、できれば残しておきたいな~と思ってるので、あのアレどこで再公開しようかなと少し前から考えてました。

あと逆に、最近あのアレどこで書いてる振り返り記事を、noteにも掲載したら読んでくれる人が増えないかしら、とも。その場合は新規でアカウント作るかな~。

急いでないのでいつになるかわかりませんが(このモードの時は平気で数年経ってから動きがち)、まあそういうことも考えてますと。

#あのアレどこ

2025年7月8日 この範囲を時系列順で読む

supercellのMVがアップされたので、

supercellのMVがアップされたので、

特攻が刺さって抜けない。

「ボカロ曲やボカロPをどこの世代まで知ってるか?」とは、もはや世代差が顕著に出る話題ですが、私はsupercellとryoさんがリアタイできた最新情報です。

そこで途絶えてるので、千本桜やカゲプロ、ハチもかなーり後になって知ったんだよな〜。

たぶん自分の中ではsupercellとか、あとスパセルと同じくらい聞いたlivetuneがメキメキメジャーに進んでいくとこ見て、シーンとして満足しちゃったんだと思う。それくらい当時はいっぱい聞いてたなあ。



なので当然これが刺さる。おお……そういえば公式音源上がってなかったか……。

おそらく最も有名だろう「君の知らない物語」の展開も素敵なんですが、この「さよならメモリーズ」の最終盤に向けて盛り上がって、その勢いのまますんっと収束する感じが聞いてて気持ちいい。

めっちゃ聞いてたなあ〜〜まだ探せばアルバムCDあるよこれ。また引っ張り出して聞いてこよう。

2025年7月2日 この範囲を時系列順で読む

あのアレどこ更新しました in 福岡62

あのアレどこ更新しました in 福岡62

投稿しました

https://anodoko.net/blog/

今年2回目の福岡開催。昨年1回だけでしたが回数が戻ったけど、一方で下半期はもうないんだよな~って気持ちも。開催バランス極端じゃないか。

最近はぼちぼち上半期まとめ記事に着手してます。他イベントの動向についても一緒に触れようと思っていますが、際限なく広がっていって困る。

まあ正直「この辺は自分がやんなくても誰かがやってることだから~」と気負わずやります。自分がやらねば! よりも、誰かもやってるから自分は自分の方針でやろう、というマインドセットの方が向いてるので。でもそういう意味だと赤ブーのサークル集計をやってるのって、あんまり自分の向いてることではないんだよな、とふと考えたりもする。ほかにやる人いるならやったっていい。

無為無為。暑さのせいか頭ぼんやりでうまくまとまらんけどそういう感じでーす。

#あのアレどこ
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