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南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

映画「ボーはおそれている」を見てきたよ

映画「ボーはおそれている」を見てきたよ



日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男ボーは、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然、怪死したことを知る。
母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。
その後も奇妙で予想外な出来事が次々と起こり、現実なのか妄想なのかも分からないまま、ボーの里帰りはいつしか壮大な旅へと変貌していく。


公式サイトより引用

新進気鋭の映画監督アリ・アスターの長編最新作! 私が長編初作品のヘレディタリーを見た後に1週間くらい引きずって家の電気を消せなくなったでおなじみ!

ヘレディタリーでもミッドサマーでも鑑賞直後は「どう思えっていうんだよ!」と思った覚えがあるんですが、今回も見事に「どう思えっていうんだよ!!」って思いながら帰路につきました。

いうてヘレディタリーもミッドサマーも「ホラー映画」に属しており、そこには「型」があるから、あちこちでぐにょんぐにょんしていてもまだ外枠があったんですよね。そこへいくと「ボーはおそれている」は監督自身が「ジャンルにとらわれない映画を撮りたい」というコンセプトから始まっており、ある意味「外枠をなくした映画」を志しているのだろうと推測されるので、もうただただぐにょんぐにょんです。

夢、特に悪夢のような映画で。強いオチもないし、ただただ理屈のわからない理不尽なことがボーには襲い掛かってくる。一応、とある理屈は示されるが、なによりそれが明かされた後の展開は、もう本当にふわふわとした展開に突入するのでいよいよ悪夢めいてくる。エンドロールが流れた時には内心で「え!?」と驚き、なんだか頭の中がぐわんぐわんと回っているような感覚に襲われたわけで。

私が映画館で見た時、右隣に男女カップルが座っていたんですが、途中で女性が「かわいそすぎる……」とつぶやき、エンドロール後に男性が「わけわからん……」と言って立ち上がってましたが、本当にその言葉に集約されてるなって思います。

ちなみに左隣に座ってた老齢の女性は、鑑賞中に2・3回くらいいびきかきながら寝てました。まあでもそのくらい、平穏なようで実は何もかもが不穏という静かな映画でもあるので、見ながらげらげら笑える映画ではないです。あとなんかこの状況自体がすごいボーっぽいと後から思ったりもした。

ただでも、不穏、なんだよな……すべての画面がなんでああもう不穏なんだろうな……それもあってか、自分は終始奇妙な緊張感があって、頭がさえて変な精神状態に突入してる感じがありました。わかりやすい娯楽作ではないし、終始「どこいくんだこれ」と思わされるふらふら感があるけれど、何を描いていて何を描きたいのかはかなりはっきりわかる演出の冴えがあるので、退屈というのもちょっと違う感じ。

あとこれ地味に予算ががっつりかかってる映画なので、画面の作りこみや美術が目で楽しい。その全部には「不穏」の文字が張り付いているのでなお楽しい。

ここからは具体的なネタバレ含む話。

私はどうもボーを見ながら終始ヘレディタリーのことを思い出してました。この「別に何でもないのに何故か画面全体が不穏で目が離せない」が展開されて、そのうちドンとすごい展開がくる感じがすごい似ているなと。

なんといってもヘレディタリーの一番のトラウマである「屋根裏部屋に追い込まれる」展開がボーでもあり、実際に恐ろしい事態が起きますが、ボーではすかさず助けが入ってくるので助かりました。ホラーだったら見ながら死んでたけど、コメディ(?)だから助かった。

振り返ってみると、屋根裏部屋に入ってからのボーは「いうてなかなか母親に屈服しない」態度が完全に折れてしまい、精神が急激に変化してファンタジーに突入する感じはヘレディタリーの展開そのままなんですよね。

ヘレディタリーにおいては、むしろこの展開前後は「はい、ホラー映画のノルマですー」と言わんばかりの展開を詰め込んでみせてるんですが、ボーではより抽象的な何か突入していく。

そうやってジャンルという外枠、ノルマをなくした分だけ、アリ・アスター作品がずっと「語っていたもの」がよりむき出しになってわかりやすくなっているように感じました。

家族という牢獄、特に母系家族が子に注ぐ重圧。その話何回目だよ! と思っちゃうけど、正直自分としては身に覚えがばんばんあり、毎回描写の解像度の高さが見事すぎてなんもいえねえ。

べらぼうに映画が美味いんだけど、毎回初見で困惑させられる不思議なクリエイター。次回作もみるぜ!
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