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南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

デジタルデトックスにはならなかった話

デジタルデトックスにはならなかった話

最近、1日の終わりにノートに思ったことや感じたことをバーッと書いてから寝るようにしているんですが、これやるとSNSに投稿する頻度が見事に減りもうした。

先日たまたまた購入した「ずっとやりたかったことを、やりなさい。 The Artist's Way」(記事189)のモーニングページをとりあえずやってみようと思い立ち、しかし「朝起きてすぐに書く」が体質的に無理だったので、夜寝る前の振り返りとしてノートにあーだこーだと書いてます。

いわゆる日記、その日の振り返りや記録ではなく、ペンを持ったその瞬間に思ったことや感じたことを文字にしています。その日あった印象的なことだけではなく、ただただ過去を回想したり、将来の希望をだらだら書いたり……自分はすでに日記は日記で別に書いており、正式な記録としては期待してないので整合性やら正確性やらそっちのけです。

「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」ではモーニングページを「脳の排水」と表現しているように、実際にやってみると頭に残っていたちょっとした記憶やきがかりを文字にして残るので、脳内で保存する必要がなくなりすっきりする側面は確かに感じますね。

実際そこで吐き出した話題のいくつかは、このブログやSNSに投稿するネタ元にしたり、別で使ってる日記の下書きとして使ってもいますが、「一回書いてすっきりしたからもうええや」と、特にネットへの表出意欲は以前よりは下がった感じも。

下がったというか、意識が変わったかな。自分にだけ関係あるようなつぶやきはノートで発散しているので、そうなるとネット上に表出するのは結局「他者との交流」「周囲や社会に利益になると思っている情報の発信」あたりになっていって……

あれ? もしかしてこれって、たいていの人がやってることでは?? 誰に読まれてもいいけど時々誰かには刺さるかもしれない話題をネットに投稿してたまに交流が生まれてきゃっきゃすることが楽しい、みたいなことを四六時中投稿するような人の方がおかしいんじゃないんですか。つまり自分はやっと真人間になれたって、こと……??

いらない事実に気づき始めたけど、いうて閲覧は以前と変わらん頻度でしており、たぶんデジタルデトックスにはなってないと思う。

あと、かれこれ四半世紀くらい毎日ネットに接している人生なんですが、この習慣をもっと人生の早い段階で得たとしても今みたいにはなってなかった気がするんだよな~。さんざんウェブ日記やマイクロブログに書き込んできた人生があるからこそ、今は手元のノートにそれまでの照準があったっただけっていうか。

これやったことでネット断ちができたとか、意識が変わったとかは実感ないです。

とりあえずノート使い切るまではやってみよ~と思ってます。
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