NSLog

南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

PS5版「聖剣伝説5 VISIONS of MANA」クリア感想

PS5版「聖剣伝説5 VISIONS of MANA」クリア感想

クリアタイムは42時間ちょっと。最後の隠しボスは未達でいったん区切り~。



いや~、楽しかった! 良かった~~~~。

2Dドットがまだメジャーな時代からアクションRPGを標榜していた聖剣伝説シリーズが、2024年の今のゲームにふさわしいブラッシュアップがなされて世に出されたな~、という感想です。これは3のリメイク作である「TOM」をプレイしたときにも実感したことではありますが、リメイクではありながら「元のSFCゲーム」にしっかり軸足も置いていたTOMとことなり、完全新作としてさらにシステムや表現を突き詰めた最新作にふさわしい品質になっていたと思います。

やはりアクションバトルが良かったですね。爽快なアクションと操作性、さらに必殺技の使い勝手の良さもあって、ボタン触ってる間ずっと楽しかったです。

この辺で難を上げるとすれば、メニュー周りがちょっと使いづらかったかな。

移動中にショートカット的に使えるリングコマンドは、シリーズ定番要素とはいえ操作が結構繊細で、狙ったキャラ・狙ったアイテムが使えず結構終盤まで焦ることしばしば。さらにメニュー画面では、キャラの切り替えやページ送りのために複数のボタン操作しないといけないのが結構難しい。あとアイテムやスキル並び替え機能がなんか独特で、自分の位置を見失うことがよくありました。

あとは何より装備系かな。1キャラクターに複数の武器系統が用意されていますが、メニュー画面で装着できるのは現ジョブの武器系統だけで、「入手した武器を装備させておきたいが、そのためにはジョブ変更してから装備変更する」という工程を踏む必要があるのははっきりと面倒でした。ショップで買ったら勝手に装備してくれるんだけど、宝箱入手だとできないんだよね……そこはちょっとどうにかしてほしかったな~。

ストーリー面では「賛否はあるだろうけど、私は好き」というのが率直な感想です。「このシリーズが積み重ねてきたもの、でも現代においてやらないといけないこと」をまっすぐに見つめたストーリーだったなと思います。

私にとって聖剣シリーズは、ゲームボーイ初代からLOMまではほぼリアタイで遊び、4以降はほぼ手を付けていないくらいのゆるふわな接点しかないんですが、それでもまあ正直「様々な理由でマナの聖域を目指すパーティが、最後には誰かが身を投げ出して世界の安定をはかる展開をいつもやってるな」という印象はあります。

今回のVOMでは「この世界を安定させるために、人身御供をマナの樹に差し出すために旅立つことが恒常化している」という流れで始まった時は、「ではこの構図をひっくり返す展開をやるのか」と察したし、実際そういう展開になっていったのは納得しました。

ただこのVOMが世にある様々な「自己犠牲の否定」「生贄の否定」の物語の中で、なかなか特異な存在感を放つのは「主人公も含めた世界中の大半の人が生贄の制度に納得している」ということ。こう書くと何かグロテスクに思えますが、登場人物らは基本的に誠実で穏やかな人たちばかりなので、最初は奇妙な違和感があるのは確か。

しかし、そもそも聖剣シリーズでは、1の頃からヒロインが、2ではパーティメンバーの一人が、3では冒険の導き手であり常にともにいたフェアリーが、それぞれの世界の安定を図るために自身をマナの樹に変えてストーリーは終わります。そこへいくと、VOMで描かれた「この世界を安定させるために、人身御供をマナの樹に差し出すために旅立つことが恒常化している」とは、そもそも聖剣シリーズ全体を比喩した世界ととらえることもできるでしょう。

「なるほどな」と思いながらゲームを進行していき、興味深かったのが制度への否定の描き方。VOMではそれまで生贄になることに納得し責任さえ感じていた当人が、「それでもこの世界でやりたいこと」を見つけて穏やかに生還を志すさまが描かれます。望んで生贄になった人自身が旅を通じて己を見つめなおし、それ以外の生の使い方見つける工程は、ちょっとほかの物語ではなかなかみない過程だったと思えて非常に感慨深かったです。

そうなんだよな「生贄を望んでいる本人」が本当にそれを望んでいながら、他者が「そんなの嫌だ」と否定して構造を壊せば、生贄本人の意思はどこかに行ってしまう。そこに対して非常に誠実に、そして独特に描いて見せたのは、ずっとこのテーマを描いてきた聖剣シリーズならではじゃないかと思います。

これをやったおかげで次回作ではこのテーマやんなくていいしな! これ見れただけでもこのゲームやったかいあるな~と本当に満足しています。

とはいえ、難を感じていることもいくつか。

1点目は、やはり敵対勢力の存在感の薄さでしょうか。序盤をけん引するオーリンは「生贄制度に大事な人を奪われたキャラクター」として真っ向からテーマ性をえぐってきますが、中盤から入れ替わって登場するディオフォロスは「大事な人を奪われたキャラクター」くらいに要素が減ってて、おかげでオーリンより思想面で主人公らとの対立が少ない。なんかもう途中から「すまんやけど、お前さんが成仏してくれた方がこの世界安泰なんだわ」という気持ちがわくくらい、本当に都合の良すぎる敵キャラだったなディオフォロス……。

やっぱりそこはディオフォロスもまた同じ生贄制度、もしくは近しい制度に巻き込まれて哀しみを経験したキャラクターにした方が、主人公らとの対立構造やテーマの掘り下げもできたんじゃないかな~。

2点目は、ヒロイン・ヒナの顛末。ここまで描いておいて、それでもヒナは生き残らせなかったんかーい!!!! マナの樹に身をささげることはなかったかもしれんが、それでも「ヒロインが実質死ぬ」「パーティメンバーが実質死ぬ」のはシリーズの定番展開なんですよ!!!! ここはな~、「シリーズを踏まえつつも、シリーズの展開にケリをつけたい」というコンセプトを感じるVOMなら、なにがなんでもパーティメンバーは生き残らせるべきだった、と個人的は思います。

この辺もあって、終盤からは徐々に薄味に感じる場面も。うーん惜しかったな。

思うところはありますが、非常に良いゲームだし、これを発展させていってほしい~。マジで次回作頼む……!!
RSS

or 管理画面へ