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映画「ゴジラ-1.0」を見てきたよ

映画「ゴジラ-1.0」を見てきたよ

とにかく同監督の「アルキメデスの大戦」を見てください。まず話はそこからだ。

多分世間的には「シン・ゴジラ」なり初代ゴジラなりと比較されるんだろうけども、同じ監督のアルキメデスの大戦とかなり直接的な対になっているし、完全にメッセージ性にも通じているわけですよ。

アルキメデスの大戦は、開戦に向かう日本軍部と、それを阻止したい主人公とその挫折を描いた映画で、特に映画冒頭で描かれる海上戦描写では「人的リソースを蔑ろにする日本軍と、人的リソースをできるだけ救済する敵軍」が描かれるんですが、ここは特にゴジラ見た人なら「あー」ってなるで絶対。

あと巨大戦艦の沈没をキノコ雲に被せてるシーンは、ゴジラでもほとんど同じ構図のシーンがありましたね。そういった細かい演出も、大筋としてもアルキメデスの大戦と本作ゴジラは一直線上に繋がる兄弟作品でしょう。

おそらくは企画や制作面でも、アルキメデスの大戦で昭和中期の描写、戦闘描写なども上手くいっただろうから、ゴジラもGOが出たよなと思うくらい、やっぱりキーになってた作品だったと思います。

個人的にもアルキメデスの大戦はとても好きな映画で、原作漫画もそこから読み始めたのですが、その一方で山崎監督の特徴もやっぱりすごく強くでた映画だったのだなとも感じてまして。

というのも、山崎監督の映画に感じるものとして、登場人物については作劇のためのポジションはあっても、人物像・キャラクター像ってものがすごく薄い。ドラマを盛り上げるための摩擦や障害としてのキャラがいるだけで、人間としての生感や実感が乏しい。

その結果、原作付きだとしばしば原作のキャラ像から大きく外れてしまうことが多々ある。アルキメデスの大戦でも、主要人物たちは原作とは名前が同じだけで性格や関わり方がガラッと変わっていました。

原作では疎遠に描かれる主人公とそれを慕う女学生が、映画では普通に親しげな間柄に描かれたり、原作では静かに付き従う従者が映画では主人公の無鉄砲さを止める立場になっていたり……総じて原作ではドライな人物像・相関図が、派手な摩擦やその後のドラマ上のひっくり返しが生じやすいものになっている。

ただ、アルキメデスの大戦はそこが作品にいい風に作用してるんですよね。

特に山場である会議シーンでは、ある種ポップな人物像が作用して迷走する会議も楽しく、っていうか「そりゃ迷走もするわ」と納得もでき、会議としての無意味さが強調され、軍拡に向かう方針がいかに無為であるかのメッセージに通じていく……

会議シーンは原作にあったものですが、映画独自の演出が加わることで、よりメッセージとして強化された例だったと思います。

で、やっとゴジラの話なんですが、アルキメデスの大戦をはじめとして過去作でも見受けられる登場人物たちの「作劇としてのポジション」ぶりが、自分の中でははっきり滑ってたなって。

例えばシンゴジラでは「ドラマがない」と批判されてたけども、マイナスワンでは「ドラマのガワだけがある」という感じ。

どうにも彼らの人生や価値観みたいなものが、スクリーンの向こう側に存在する人間のものとしては考えられずに、ただただ「このドラマに必要だから、この性格だしこの言動をする」に思える。

この人だからこれをしたとか、こんなことする人なんだという感触がない……主人公もしくはドラマを盛り上げる上でこういうことする必要あるよね、と思ったことを、次々と周囲の人物がやってくれてる。とある作中の悲劇についても、「これもしかして?」という予想から外れてなくてちょっと笑った。

展開の予想がつくのは悪いことではないし、これ自体はいつもの感じとも言えるんですが、じゃあそうまでして描いたメッセージがなんだったかと思うと、「敗残兵の個人的リベンジ」に終始しているのも乗り切れないところ。

個人が先の対戦について「上層部が良くなかった。俺たちはもっとうまくやれたはず」と思う気持ちはわかっても、本当にあの戦争で思うところはそれだけだったか? と思わずにはいられない。

もし上手くやれてたら……沖縄が決戦場になることはなく、原発は落とされずに、アメリカに落とし返してた? 東アジア圏の植民地化を成功させてた? そういうこと?

ゴジラというモチーフそのものが、元々が太平洋戦争にまつわる日本人の複雑な感情と反省をベースに生まれた存在であることを思えば、同じく「敗戦の記憶」をモチーフとして再びゴジラを描くのであれば、「戦争を起こしてしまった我々」への内省や批判感情はあって然るべきだったんじゃないか。

アルキメデスの大戦では、負けが見えてる戦争に傾倒する国への嘆きが描かれていたが、そのアンサーともいえる本作でいうことが、この「もっと上手くやれたはず」なのであれば、ひどい落胆を感じずにはいられない。

ゴジラで描かれる敗残兵たちのあの行動原理とは、アルキメデスの大戦で「この戦艦があれば我々は勝てる」といって建造を強行し、そして戦争に投じた軍部側の理屈にこそ近しいものじゃないでしょうか。

同じ展開をするにしても、もっと目配せはできたんじゃないかなー。

人物配置も含めて「大きなドラマの筋のためには細かい機微が抜け落ちて、そのために大きな筋の意味合いにも変化が出る」のも、この監督の癖だったなと。ユアストーリーも、同じ結論でももっとやれたことあるだろうって思うもんな……

映像表現は間違い無く日本トップレベルのものだし、それでいて日本的な感性バッチリで構築されてる絵作りは本当に見て楽しく、ワクワクするもので、それ見るだけでも楽しい映画です。

でも、映画を観た後に「あれ、でもなあ…」立ち止まって考えてしまう、そういう小骨がもしかすると心臓にまで届くような、そういう落ち着かなさも感じる映画でした。
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