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南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

この世は変わっているけど変わっていない

この世は変わっているけど変わっていない

わたくしのネット人生はだいたい1998年だか1999年ごろ、家にケーブルテレビが導入されてそのついでに定額使い放題ネット回線が開通したのと、家族がノートパソコンを買った時から始まりました。

当時は、パソコン通信やニフティサーブといった総合的コミュニティがネットの中心にあった前時代から、個人がウェブサイトをもって「1国1城があたりまえ」に移行しつつあった時代だった、と先輩方からはうかがっています。自分はその後者の時代の端っこにネットを始めたので伝聞ですけども。

それから四半世紀以上たちぼちぼち30年経つかな、というタイミングなんだけど、ふとした時に「いまって00年代のあのころだっけ」と思う時がある。

自分の人生において、90年代のマスメディアからのオタク叩き、00年代のネット上の女オタク・女叩きというのは、人格形成の年頃真っただ中に受けた「迫害」の記憶・体験であり、いまとなってはあの辺で自分の「他者観」みたいなものが形成されたな~と思う。

歴史家が後年どう判断するかはわからないけれど、ひとつひとつの事象の詳細はことなれど、あの90年代と00年代の事象はひとつなぎだったなと思う。ようは、90年代に周囲から叩かれていた人たちが、自分たちが叩かれた手法をもって別の人と叩いている。「スライドしている」と当時も思った。

なんというか、状況がそろえば「愚かなことを繰り返してはならない」という知性や善性なんてどこかにいってしまって、自分の受けた被害を他者に加害として発揮することなど、当たり前に生じるのだなって。

結構この経験は強烈だったようで、自分は今でも誰かと知り合った時、相手に対して自分が真っ先に思うのは「この人は、あの時の叩きに乗じた(もしくは乗じるような)人か?」と疑った目で見ている。

少しずつ相手のことを知る過程で、だいたいはその印象はぬぐわれるのだが、でも時折、他人のふとした言動の端っこに「あの時、叩いていた人たちの欠片」とでもいうべきものを感じて、「ああ、やっぱりか」と思うこともとてもよくあって。

約20年前と比べて人々の人権意識はどんどん改善されていっていると実感するし、20年前の先進的な考えは今の若い人にとっては「あって当たり前なんだなあ」と思うことも増えたのに、それでもまだしっぽの方にはあいつらがいるのをみて、「変わっていない」とぞっとする。

特に落ちはないんですけど、今年もそう思ったな~っていう記録です。
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