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南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

映画「爆弾」をみてきたよ

映画「爆弾」をみてきたよ

いきなり別作品の話で申し訳ないんだが、漫画「ひとりでしにたい」の中のこの一節を紹介します。

男も でかい岩が道ふさいでいる時 「俺がどかさなきゃ」って女にはわからない圧感じてるのかもね

これは作中で主人公の両親に介護の必要が発生したとき、やりたくない、できれば回避したいと本音では考えているんだけども、「ほかに大人がいても、女性である自分がやらなきゃいけないと動き出してしまうよう刷り込まれている」とぼやいている時の会話の一つです。女性である自分はこういう考えが根付いてしまっているけど、男性は男性でこう思ってるのかもね、という話ですね。

この回、ある世代以上の女性とは、仮に本人は自立していても「男が働き、女が家事をする」という両親像をみて育っているので、どこかでそういう女性像は刷り込まれているし、同じように刷り込まれている周囲の上の世代(特に男性)とそこで争うのはしんどい、という生活や社会にしみついたジェンダー論に踏み込んだ回でした。

さらに思い出すのは、「ひとりでしにたい」のとある回では、昭和の価値観ゴリゴリに根付いた還暦越えの父親が「母が倒れても、自分が母を看病したり、代わりに家事くらい受け持つという発想がない」ということに気づき、主人公がどうにか父に生活力を持たせようとあれこれ策をめぐらしても一蹴されてしまう。なのに、平成生まれの弟から「自分には専業主婦の妻がいるけど、妻が病気で倒れたら看病するし、今どきそれくらいしない男は他の男に馬鹿にされる」といわれて少しだけ父が考え直す、という話がありまして。

それをみた主人公は、女の自分が行っても聞く耳を持たないのに男である弟が「そんなことすれば、ほかの男からもバカにされる」と説明したとたんに父が説明を飲み込んだ様子を見て、「男男男 女がどこにもおらんな父の世界には」とあきらめた調子でナレーションします。

鑑賞中からふいにこれらのエピソードが浮かんだので、自分にとっての「爆弾」という映画とは、この「ひとりでしにたいの主人公からみた、父親や弟たちの世界」くらいの距離感だったのかも。



https://wwws.warnerbros.co.jp/bakudan-mo...

ちゃんと映画の話に戻すと、軽犯罪で捕まり事情聴取を受けていた身元不明の謎の男が、ふいに無差別爆弾事件を示唆したところ、実際に事件が起きてしまい……というサスペンススリラー映画です。

いわゆる密室劇、狭い取調室で登場人物らが会話だけで情報を引き出し続けるパートと、都内各地に隠された爆弾を探し出し、さらにはこの身元不明の男の正体を突き止めていくパートに分かれます。密室劇パートでは手練れの役者たちによる会話劇が、外部捜査パートでは大規模なロケを多用した迫力ある映像が続き、画面もリッチだし終始緊張感があって楽しい映画でした。

テーマやメッセージ性は現代的で、一昔前まで「無敵の人」は20代前後の若者として描かれることがほとんどでしたが(キレる17歳、なんて流行語もありました)、いまではすっかりその役は中年に移り、上の世代からも下の世代から疎ましく思われている。どうすればよかったんだろうな、と考えない日はない。

困った他者に手を握られたときに「頼られている」ではなく「利用されている」と思ってしまうのは、時代のせいか、それともそう思えない自分が悪いのか?

そういったことは割と自分にも刺さってとてもつらいのだけど、それはそれとして語っている語り口には、なんていうか、昔の2ちゃんねる見ているような気持ちになったのも事実で。

掲示板という同じフォーマット上で、同じ話題に対していろんな人が口々にしゃべってると思っていたら、「ここに女いる?」といわれて「あれ?ここって男性前提の場所だったか?」と急に自分の性別を想起させられる。とある友人は、在日コリアンや外国人への蔑称がカジュアルに飛び出してきて、在日三世の自分はここにいられないと思ったそうで。立場も何もかもフラットな場に見えて、実は「この身分でないやつはここにいない」と強固な共通意識が横たわっていて、ふとした時にそれがむき出し、自分たちは弾かれ、特定の身分の人間だけで固まっていくようなあの感じ。

メインの登場人物に女性も何人かいますが、周囲の男性たちには向けられない下卑た性的侮蔑を投げかけられたり、悲劇性のスイッチになっていたり。前述の「ひとりでしにたい」の説明にのっとるなら、「父親や弟たちの世界からみた女性はこうなのかな」という存在感に思えました。

登場人物が主に男性しかいないから女性の居場所がないとか、そういう単純な話とも思っていませんが、でもこの映画はかなり意図して「そういう世界だから描けること」を志向しているのはわかるよ。

もしかすればそういう世界観とは、冒頭で引用した言葉が指すように「石が落ちてきたら俺がどかさないといけない」「そうしないと落ち着かないよう刷り込まれている」でも実際には「そんなことしたくない」の狭間に生まれてる悲鳴なのかなと、時々思う時がある。

最終的に思い浮かんでいたのはそういうなにかだったので、ここに書いときます。
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