NSLog

南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

それいっていいんだな

それいっていいんだな

何気なく配信動画を見ていたら、リスナーからのお便りに意見をのべてる中で、「自分の立場だからこの送り主に厳しい意見を言えるけど、これ見ているリスナーは自分じゃないんだから意見を同化させたらダメだよ」という話をしていて、「あ、それ表明していいんだ」と目からうろこが落ちた。

決して「配信者なのにリスナーに意見するのか」という意味じゃなくて、「私の意見をあなたの意見にすり替えるな、と表明していいんだ」という意味です。

いつぞやの日記にも書いたのだけど、ここ数年、マイクロブログ(失われし時代の言葉)系SNSで発言すると、特定のユーザーや特定クラスタに決まっていいねされたり拡散されることに抵抗感を覚えるときがありまして。まあいっちゃなんだが、社会に対する意見を述べた時にそういった反応が出ることが顕著でして。

別に毎回めっちゃ拡散されるでもないし、めちゃくちゃ叩かれたとかでもない。なんなら、1発言に数いいね・数RTだし、意見としては肯定的に受け取ってくれてるんだと思う。でも、まあ見るからに決まった傾向の発言に反応するし、ホームをみても本人のつぶやきがなくてRTばかりで(誰かの使い方に文句をつけようがないことは前提に)、自分からすると「私の意見がこの人の意見にすり替えられてる」と感じられてかなりしんどかった。あと「この反応に気を良くしたら、反応のよいことばかり言ってしまって、思ってもないことまで言ってしまいそう」という危機感もかなりある。

そういう傾向は10年以上前からあったし(私はTwitter歴15年です)、なんならそれ以前のブログ時代からそういう人がコメント欄に書き込んでることもよくあった。なので、特別な人たちというわけでもはなく、普遍的なものなんだろうと思っている。

とはいえ、ここ数年は「もうしんどい」の閾値すれすれくらいまでプレッシャーを感じてました正直。「肯定的な反応なのに、なんでそんな態度になるの?」と言われても、「生理的に無理です」としかいいようがない。

そんな気持ちもあって、すべてのSNSから気持ち距離を置いていたんだけど(それでも常人からすれば相当な頻度で発言しているが)、先の発言をみて「近しい感覚を他人に持ってる人がほかにもいるんだ」と知れてちょっと気が楽になりました。

あと、こうやって文字を打ちながら明確にすることで、「やっぱりこれ、いやだな」という線引きが固まった気がする。他人の行動を完全に制限することはできないけど、だからってぼやっと距離を取るだけじゃなく、しっかりとした心の盾が現れたのかも。

一応、話題元の動画も張っておきます。1:23:41ごろから始まる話題の中盤で話しています。



ライブ配信の閲覧者が数千人以上いるような配信者だと、私とは比べ物にならないくらいの意見の波にもまれているだろうし、一概に向こうの状況を理解できたとは全く思ってないけども、勝手に一方的に私の気分が晴れました。

もしこれをみている思うことある人がいても、それこそあなたと私は別人で心の持ちようは様々なので、あなたはあなたの責任で自分の言動と気持ちを整理してください。
RSS