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南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」観てきた!

「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」観てきた!




タイトル長い!! 本編も長い!! 見てきた直後にこれ書いてるけど頭痛い!! 悪い意味じゃないよ!!



前作は近場の映画館でやんなくてブースカしてたら、あれよあれよとアカデミー賞もとるし、その続編ともなるとうちのような地域にもやってくるんだなっていう。

様々な画風が入り乱れる上に、スパイダーマン映画の特徴でもあるスピーディで立体的な映像、小粋なセリフの掛け合いの応酬など、情報で頭揺さぶられる。

情報量が多いのに、いわゆる「ごちゃごちゃ」というだけではなく適度に整理されていて、映画的なテクニカルな場面切り替えのパスもあったりして絵がうめえ。構図の撮り方やポーズの指示が全部決まっててうまい。絵が上手い人は絵が上手い。

観てからしばらく頭痛いんだけど、これ多分映画見ることにエネルギー使ったからだと思う。

ストーリーはいろんな要素が重なってて「そりゃあこの長尺でも終わりませんわ」と思った。

それでいて手際がいい。冒頭のグウェンの生い立ち、並の映画ならこの話で60分使うよね? って展開が綺麗に収まっててぎえええってなる。

彼女の「帰ったら生きていられない(だから失敗できないし今の場所に必死になる)」という立場は、あらゆるマイノリティに通じるし、日本の入管問題とも重なって痛烈に刺さる。

でもやっぱり要素が多い。グウェン側はともかく、マイルス側のストーリーが4つ5つくらいあるよね……今作だけだと「どれも触りだけ始めました」という感じで、中盤は「またなんかやるの?」とも思っちゃう。

ただこの辺、長くてエネルギー使う映画なので、こっちのエネルギー切れと重なったのもあると思う……。

テーマとして、親子の断絶、10代の閉塞感と孤独、上世代と下世代の摩擦など、非常に普遍的なアメリカ青春ストーリーで、特にマイルスやグウェンらの等身大の青少年像は見てて気持ちがいい。

それらのキャラ造形も、細かなアニメーションが生み出す機微によって成立していて、絵が上手いってことは映画も上手い。

一方で、大筋としては「まあいうてこの辺に着地するのでは」という予想もしやすい。

私としては、出てくる大人世代は全部ぶっ飛ばそう! めちゃくちゃにしようマイルス!! って思うんだが、でもマイルスはめちゃくちゃにはしないんだと思う。

なぜなら、スパイダーマンの運命に従順になることも、反抗することも、「どの大人を助けるか」という形でしか用意されてないから。

言うなれば、マイルスが「どの大人をモデルとするか?」の選択を迫られてるんだと思う。別バースのマイルスは、まさにそういうことの示唆なんだろうと。

昔からマイルスの父親みたいに「お前のためなんだぞ」と言って抑圧しては、その裏では「俺が間違ってるか?」と夫婦間とかで悩んでる親表彰ってものが、少なくとも子供向けやティーンズ向けに出てくるのがすごい嫌で。でもそういうのだいたい、そこのジャンルにしか出てこない。

原初の映画体験のころから、子供の自分と、付き添いで隣で見てる親への忖度を見せられてるみたいで嫌だった。

子供を守護の対象といいつつ、でも「俺のことをお前たちも理解して敬うべき(そうだったら俺の気持ちが少しは晴れるのに)」という、親や大人という人間の下心と甘えがチラッチラと向けられてることくらい、子供だってわかりますよ。

親子じゃなくても、上世代でできなかったことを下世代が壊そうとすることに、必死になる大人たちにも似たような甘えを感じる。俺らの介錯をしてくれと。自分で腹切ってから言え。

やっぱり無責任な大人どもはもう全部ぶち壊そうぜ!!!!! 提示されてるどのモデルにもならんでいいじゃん!!!!!! 

できることなら、そこからもう二転三転の発展と飛躍が後半にあることを祈ってます。

面白かった〜。次はジュースとポップコーンで補給しながら見ます。

「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」のクリア感想です。

「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」のクリア感想です。

公式サイト

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画像はクリア直後の達成率。前作が22%だったので、こっちの方がよくやりこんでるー。



前作BotWをこの2023年にクリアした勢いで続編にも突入。操作性の基本はそのままだったので、勘を忘れずに済みました。

(ブレスオブザワイルド感想はこちら)

ただ元々ラッシュやパリィの類が苦手だったので、前作以上に重要視される攻略にはなかなか困った〜。

ゲームとしては前作からの正統進化という感じで、前作で好評だったマップを3倍に増やし、パズル要素がクラフト要素に、様々な武器やアイテムを全部合体させて恐ろしいまでのバリエーションに展開と、物量of物量、物量で殴る!! をまだここまでやれるものかと舌を巻きます。

マップ3倍って言ったけど、いわゆるメインマップが上空・地上・地底に増えたこと指してますが、ゲーム体感から言うと実際はもっと多い。

というのも、今作では地上マップにかなりの屋内マップが増えてるんですね。そこの物量がめっちゃある。

この背景として、前作にあった違和感の一つに「徹底して屋内というものがない」があったんですが、そこが解消されてる。

ないっていうか限られている。パッと思いつくものでハイラル城と神殿4種、あとはごく小さい人里など。たまにある建造物はだいたい壊滅していて、半分以上は屋外になってたりね。

例えばハイラル北西にある「忘れ去られた遺跡」はBotWからあるマップでしたが、BotWの段階ではどー見ても巨大建造物なのに「中」に入る手段がない。

同じように、あちこちに遺跡群があるのに完全に空間が仕切られたものがほとんどない。ゼルダシリーズのゲーム性としても、パズル要素の強いシリーズの印象だけに「建造物ダンジョン」がここまで影が薄いのはびっくりしました。

おそらく、BotWでは地上のマップを高いところから見まわして探すことが基本だったので、見通しきれない屋内マップというのは極力作らない方針なのか、もしくは、これだけの物量を作るために切り捨てた要素だったのかなと。パズル要素なら祠もあるしね。

そんな「忘れ去られた遺跡」も、TotKでは奥深くまで中に入れるようになっていて、やっぱりそうするよねと。これら以外にも洞穴や大型建造物も増えていて、「ちゃんと屋内マップを作る」方針を感じます。それだけに相当なボリュームが発生してるはず……恐ろしい……。

クラフト機能やリビルド機能などの凄まじさもすごい。ここは世間でいっぱい言われてるから置いとく。

そんなわけで、前作を土台にもりもりに盛った今作ですが、それだけに犠牲になった箇所は多いように思います。私が思ったのは操作性とストーリーです。

操作性の複雑さはもう散々言われてる通り、弓に属性付与するのも相当な回数のボタン操作が要求されるのに、口笛はボタン一つで吹けちゃうバランスの悪さ……そこは多少変更してでも整理して良かったんじゃないかなー。

もう一つのストーリーについては、好きか嫌いかで言えば個人的に好きだが、レビューするとマイナスにならざるを得ない、というのが自分の評価です。

「ゲームストーリーの良さとは」話になっちゃうんですけど、ここでいう良さ指標は「その情報があるだけで、どれだけゲームに前のめりになれるか?(プレイヤーを前のめりにさせる情報が、どのくらい、どんな品質であるか?)」とします。

例えば、ゲームのプレイヤー心理として、「左から右に移動してクリアせよ!」よりも、「この先にはさらわれた人がいるので救出せよ!」と言われた方が、ゲームにのめり込むための情報が強い……フックが強いわけです。

現代では、こう言った大目的以外にも複数のラインが走ってるのが普通で、キャラクターごとに理由や目的があったり、敵対勢力にも魅力があったりする。小さいミッションを通して、世界に生きてるキャラクターたちに愛着を持っていくという手法もありますね。それらも全部フックなわけで。

そこへいくとTotKは、現代のゲームらしく様々なストーリーラインが走ってますが、「この筋を追っても全然乗れないな」がでっかいとこに複数あったなと。

代表的なところが、仲間とガノン周り。

まず仲間については、今作では「戦力としての仲間がパーティインする」というRPGっぽい制度がありますが、この仲間たちのストーリーがとにかく弱い。

具体的にはパーティインの前振りになる神殿イベントが弱い。神殿に乗り込むまでの展開は独自展開ですが、神殿で明かされる4賢者たちとのイベントが全く同じ内容、同じ展開で、2つ目以降はまっっっっっったく気持ちが上がらない。

このコピペぶりは、例えば仲間に感情移入してた人ほどガッカリするし、そこまでじゃなくても「同じこと言ってるイベント」と退屈に感じる人も多いでしょう。

それってそのまま、プレイヤーから加入メンバーに対するテンションにも影響すると思うんだよね……。

次にガノン。シリーズ一貫した大ボスです。

BotWでちょっと感心した点に、ガノンが半ば自然災害扱いでドラマ不要だったこと。なるほどこれなら問答無用で倒す必要が出る。なぜならいるだけで被害が出てしまう災害、厄災だから。

その一方で「でもこれ、根本解消じゃないよね? またいつか発生するのでは?」という懸念もありました。

この辺はFF10の「シン」に通じる存在感があって、では続編なら「なぜシンが|ガノンが発生するのか?」にスライドするだろうな、という予感もありました。

予想通り、TotKのストーリーではガノンとハイラル王家の因縁にフォーカスが当たり、全編通してガノンは自我ある一キャラクターとして描かれます……が、その割に彼がハイラルに執着する理由が判断しづらい。

ラウルたちへの態度を見るに、自分より強い力や豊かな国土を持つものへの支配欲・征服欲なのかなと思いきや、力を得てからはその国土に対して国力を後退させるようなことをしててじゃあ破壊欲か?? もしくは強い力への執着か?? でも細々した策略を変装しながら糸引いたりして、王座にふんぞりかえっていてもーわからん。

作中でもガノンが直接的に糸引いてる事案もいっぱいあったけど、その真相に気づいたとて「くーーーーガノンさん悪かっこいいぜ…!!!」ってなれるものなくない? 豪快な見た目の割にやってることが細かいし、それでどうしたかったか? が見えづらい。

複雑な生い立ちを作れって言ってるんじゃないんですよ。「彼の目的」を確定させる、一貫した動機や価値観というものが、ゲーム中だけだと見えなかったなと。ハイラルを支配したいのか破壊したいのかそれ以外か、せめて人間だった時くらいは、そこの目的はあったんじゃないのと。

キャラ性に通じる行動原理がなさすぎて「こういうミッションにしたいから、ガノンさんにこういうことしてもらいました」という制作意図さえ透け見える感じがあって、これもテンション下がる。

悪役の目的って大事で。そいつの目的と主人公の目的がぶつかるから、両者は敵対する理由が生まれる。

整理していくと、今作独自のガノンを倒す理由とは、モンスターや瘴気を撒き散らす迷惑な機能は前作と同じとして、そこを除くと「ハイラル王家に仇なす存在だったから」なのではと。

ガノンの目的を阻止することそのものじゃなく、ガノンがハイラル王家にしたことへの報復としてガノンは倒すべき、という。

じゃあハイラルにそこまで「物語が」忠義立てする理由は何? と考えると、たまたま迷い込んだゼルダのことをハイラルゆかりの人間(ラウル夫妻)が親切にしてくれたから、という話にしかならんかなと。

もしゼルダの迷い込んだ先が、当時のゲルダ族の集落で、そこで良くしてもらってたら、この物語はガノンやハイラル王家に対して、いまより複雑に描かざるを得なかったでしょう。

ifの先でも「でもガノンは倒さねば」という情報が、「ハイラル王家関係なくガノンは倒さねば」という要素が、どうにも弱い。そこを補強する要素に両勢力の対照的な雰囲気と、「光と闇」の言葉が当てられている。

つまるところ、この辺りは味方勢力への思い入れにも関わってくる。

ソニアさんのことはショックだが、「これってつまり、ハイラル王家とガノンの間の因縁が、世界規模に発展した戦争なんでは?」という気持ちは正直あった。一万年にわたって人々を苦しめる「厄災」もこの応酬の結果だというなら尚更、ハイラル王家の尻拭い感は否めない。真エンドのミネルさんのセリフにも、その辺が滲んでましたね。

結果的に、今回1番損な役回りは、間違いなくガノンだと思う……「ゲーム上の倒すべき障害」以上の情報が、前作から大きく追加されることがなかったのに、厄災と違ってある程度自由に動けるので、便利に使われてしまってたなと。

周囲に甚大な損害をもたらすもの、モンスター無限復活装置としての役割なら、前作の厄災ガノンの方が「破綻がなくてよくできたキャラ造形だった」のでは。

いろいろ書きましたが、これらの指摘もおそらくスタッフは織り込み済みなんですよ多分。

これらは「シナリオ担当が下手」じゃないんですよ明らかに。ゲームのグランドデザインにおいて、ストーリーが重要視されてない。そこに力を入れなくていいと、早々に判断されたんじゃないかな…。

少なくとも4賢者イベントは、そうでもしないとこうはならんでしょう。制作段階ではゲーム性やクエスト攻略制作の重要性が高く、削られたのがここだったんだろうなと。

なのでこっちも容赦なく「そこがつまんなかったぞ」って言います。

世間的なTotKのストーリー評価が高いレビューを見ると、その理由は概ねマスターソードとゼルダ姫のくだり中心に指してることが多いんじゃないかな。そこの情報量の多さ、強さは確かです。

一方で、TotKのストーリーでプレイヤーが体重かけて楽しめる情報が、そこくらいしかないとも感じます。

そこに乗れなかった人をフォローする、強い情報が他にない。ゲームに入れ込むためのフックが少なくて弱い。

例えばBotWだったら、ゼルダ姫にピンとこないけど英傑のキャラが好きだから頑張るぞ、とかありえたわけですよ。一人一人にユニークな動機があって、プレイヤーも好きに同調すればクリアするための意欲が湧く、力強い「情報」がいくつもあった。

そういう立体感が今作弱いと感じたな〜。

ここまで言っといてなんですが、私自身は前作時点でゼルダ姫に入れ込んでただけに、演出込みで結果的に好きなストーリーではあります。

ただ感情移入しすぎて「ゼルダに何させてんだストーリー担当!!!!」とプレイ中はずっと激怒もしてました。ここも正直「ゼルダは出したいし積極的なキャラにしたいが、パーティキャラにするのもなんか違う…」とこねくり回した結果、ここしかなかったという制作の事情も感じなくもない。邪推ですけども。

ただ、ゼルダとリンクの関係が、BotWの「めちゃくちゃ無理して身を粉にしてでも責任に投じようとする女の子と、それ追いかける男の子」構図を経て、
TotKでは「成長した女の子が『この超難易度ミッションを任せるなら彼しかいない』と確信して全てを準備して、しっかり受け取る男の子」構図に変化してるのは、グッとくるものがありました。

そういうところ含めて、あのエンディングみてたら「まあいいか」と個人的には思ってますけど、一歩引いて整理すると「ストーリーが全然おもん無いわ、って人が現れるのは当然の作りだよな〜」とも思います。

実質的に「唯一の強い要素(マスターソード周り)への好みで、ストーリー評価は二分されるだろう」と思ってますし、ミニマムなゲームなら、それでも高評価できたでしょう。

でもこのTotKには、他にも用意されたストーリーラインがあるのに、それらは品質が低いから「それしかない」となってしまう。それはストーリーがよくできてるゲームだとは言いがたい……というのが、自分の評価です。

楽しいゲームなのは疑いようはないんですが、続編はまた全然違うとこから出発して、新たな地平を開拓してほしいなあと思います。
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