NSLog

南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」をみてきた

映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」をみてきた

頭がぐわんぐわんする。



内戦が起きたアメリカで、正規軍率いる現大統領に対して反乱軍が激闘を繰り広げる状況の中、「大統領の最後のインタビューを撮る」ため、最前線であるワシントンD.Cに向かうジャーナリストたちの旅を描いたロードムービーです。

崩壊した社会秩序、誰がどの勢力かわからない状況の中、目の前でもしくは自分に対して向けられる暴力の数々。兵士だから市民だからどの陣営だなんて関係ない。どこに誰がいるのかもわからない。ただただ「自分の」前に暴力は広がっている。

だけど、その暴力の根っこには確実に「今の現実にある」差別や社会的階級が根を張っている。一番最初に出会うガソリンスタンドで繰り広げられた惨劇は「高校が同じだったけど、話はしなかった」もの同士で起きているし、道中で行き当たった殺戮者は有色人種を狙って殺す。これが現実じゃないって誰が言えるのか。

その一方で、戦地の真っただ中でありながら、おそらくは強力な暴力組織に守られて、秩序と平穏を享受する町がぽつんとある。だからこれは、世界の縮図であり戯画なんだろうと。すぐそこに暴力に満たされた地域があり、でもほんの少しの違いで、平穏な地域がある。でも結局後者とは、それはそれで別の暴力によって囲われているに過ぎない。そこに住む住民たちは「ニュースで見てる。近寄らないようにしてる」とこともなげにいう。なんかここがもう本当に刺さる。我々の姿じゃないか。

私は石川在住で、住んでいるところは平穏そのものですが、ほんの数キロ車を走らせれば、まだまだ地震被害が色濃く残る地域がそこにあります。私の姿を、あの町の住民に見て知って泣けてくる。

それをひたすらに記録するジャーナリストたち。もちろん彼らにも暴力は及び、時に取り返しのつかない傷をつけられ、それでも「今起きていること」を残し、伝えるために記録する。それだけの映画でもあるし、それほどまでに、と言いたくなるような、ものすごいパンチを繰り出してくる映画でした。

なにかできることはあるだろうか。
RSS

or 管理画面へ