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南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

映画「マッドマックス:フュリオサ」見てきたぞ

映画「マッドマックス:フュリオサ」見てきたぞ

2015年に世界の映画史を塗り替えた「マッドマックス 怒りのデスロード(以下FR)」のスピンオフだーーーーーーーーー!!!

荒れた大地とすみわたる空の下で、美しく精緻な構造と色彩で彩られ、血とガソリンと爆発の中で誕生する英雄フュリオサの始まり。

前作FRでは監督自身が「一つのチェイスで繋がる映画を撮りたかった」というだけあってとにかく展開が止まらない作品でしたが、フュリオサは6章からなる物語で作中時間も15年かかっておりかなり趣は異なります。

バイオレンス描写ははっきりと増えてます。元々相当に殺伐とした世界観ではあるんですが、FRではスピード感が凄すぎてパッと流れちゃってたようなものが、本作は普通に正面から撮るので苦手な人は要注意。

前作ではかすったくらいだった世界描写も、今作ではそれが本旨かなってくらいにあの世界の街の様子が正面から描かれていて楽しい。

あんなに殺伐とした終末世界なのに、どこか歴史と文化の重厚さも感じる手つきは、同監督の「アラビアンナイト 3000年の願い」と彷彿とさせます。西アジアの煌びやかで崇高な文化が、マッドマックスの世界にも生きているんだなあ。

で、ストーリーはガッツリFRに接続するし、不屈さと希望を感じる終わり方にグッとくる。

「何者にも屈しない」と面一発で語るフュリオサの瞳が印象的で、それでいてその所作は冷静沈着そのもの。なんかねーほんとこの一切の無駄をと怯えを感じない立ち振る舞いに見惚れちゃうんだよね……こんなん好きになっちゃうよ!!!!

その一方で「こんな目に遭ってるのに故郷は……」と後の展開を思って泣けてくる。涙を流すシーンはいくつかありますが、彼女が慟哭するのはあのシーンだけなんだ……。

そう、今回の映画でわかったのは、フュリオサ自身の復讐はここで一旦けじめがついてること。イモータンジョー自身にも多少の恨みはあるとしても、彼女がFRで逃避行を選んだのは、決して恨みだけじゃなかった。

彼女は母との約束、故郷へ帰ることを渇望してたし、それは彼女の生きる理由そのもので、生きたいからこそ囚われの子産み女たちを引き連れてFRの旅は始まった。

フュリオサが、逃亡の手伝いになるとはいえない彼女らを連れ出したのは、復讐の果てに見つけた「我欲の成れの果て」に向き合ったからだろうか、と。

エゴ以外の何かを連れて、生きるために逃げ出す。それは英雄と呼ばれる素質なんじゃないでしょうか。

エンドロールを見ながらそう考えて、なんだか心が元気になりながら帰ってきました。

2015年、マッドマックスFRは前知識なしに日本での封切り日翌日に見て、そこから半年くらいずっとこの映画のこと考え続けるくらいに刺さってしまった時代の大傑作だと思っています。

観たその日はずっと「うわ、これからはこの映画がある世界なのか」「これから生まれるあらゆる映画や創作物は、この映画と比較されてしまうんだ」とぐるぐる考えてしまってたのを覚えています。

その後、世間でもこの衝撃が伝わり、カルト的人気を誇るわけですが、あの時まだ誰の感想も評論も見ないままに映画観てショックを受けたのはほんとに得難い体験でした。

あの時の衝撃は今もあるし、実際やっぱり「変わった」実感もあって、時代を目の当たりにできたこと誇りに思っています。

フュリオサも一本で楽しめる映画ですが、是非ともここからマッドマックス怒りのデスロードも見て欲しい。これが世界を変えた一本ですよと。
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