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南柯そう/仲村のなんとかその日暮らしログ

映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」をみてきたよ

映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」をみてきたよ



本編がおよそ3時間30分あるんですけど、まー見ていてダレる瞬間がない。驚異的。

ノンフィクション小説が元になっているため、展開も事実に即してか抑揚も少なくかなり淡々と進むんですが、はっきりと「現実にある地獄のひとつ」であることが示されるためか、見ている間もつるつると飲み込めていく。

そう、地獄なんですよね。

1900年代アメリカ、迫害され白人文化への帰化が強要されつつある先住民族オセージ族の土地で、油田が発見されることから物語は始まります。オセージ族は油田からの利益を得たことで「世界最高の金持ち」と称さるまでになる。しかし、だからこそ、彼らは狙われる。

映画では原作小説から大きく構成を変えて、オセージ族を狙う白人たちの視点で終始話が進みます。

主人公は土地にやってきてすぐに、世話役で叔父の保安官から「オセージ族の女と結婚し、その財産を我らが一族に流し込め」と命じられるし、彼自身も夜道を歩いていたオセージ族から金品を強奪しては賭けに興じている。彼も彼の周囲も長年にわたってオセージ族への迫害と強奪を続けていく。強奪目当てのオセージ族の殺人には協力し、オセージ族自身が不審に思って調査を始めてもすぐに阻害する。

それでいて、主人公はしっかりオセージ族の女性と結婚するし、子供をもうけて愛情を持つまでになる。彼は妻を愛しながら、これまでオセージ族の殺人や隠ぺいに散々協力してきた人たちから渡される「薬」を与え続ける。そして、当然のように妻は弱っていく。

これは何の地獄だろうと思わずにはいられない。オセージ族からすれば同族たちが少しずつ殺されていき、白人の妻や夫さえ自分を裏切っている。不審な連続殺人事件に公権力は動かない。

淡々と、軽やかに、時にコミカルに描きますが、白人たちが先住民族に行ったことへの追及は容赦がない。クライマックスの会話シーンの顛末は切れ味にゾッとする。いやーほんとすごい。

それと個人的にちょっと思ったのは「英語とネイティブ言語の使い分け」がすごく丁寧だなと。

作中ではメインの言語である英語と、オセージ族の用いるネイティブ言語が入り混じるんですが、その使い分けがしっくりくる。オセージ族であっても英語話者とは英語で話すし、オセージ族同士だったりオセージ族が強い語調で話すときはネイティブ言語になる。白人側でもオセージ族と暮らしてるような人ならある程度まではオセージ族の言語も理解しているようでした。

これねー、最近ちょうど「ジョン・ウィック:コンセクエンス」「ザ・クリエイター」という、これはこれで「英語とネイティブ言語を使い分け」する映画を見たのでギャップを感じました。こっちの映画群、日本語も使うので特に気になったんですが、「なんでそのタイミングでネイティブになった??」と思うようなタイミングで切り替わるんですよね。

日本語話者同士の会話だけど、1語目は日本語で2語目はネイティブになるとか、英語での会話の途中で日本語しゃべって英語に戻るとか、いまいち一貫したルール性みたいなものがない。あくまでエッセンスとしてのネイティブ言語なので、別にそれ自体にあんまり意味がないんだろうなと。

で、そこへいくとフラワームーンの言語の切り分けは、自分が利く限り非常に自然で、日常にある範囲の切り分けに思えました。そういうところもモチーフとなっているオセージ族やその文化への敬意があるのかなと。

大変良い映画でしたが、余裕があればこちらのラジオ番組も聞くとより作品理解、歴史理解が深まるかも。

そもそもオセージ族が油田を見つけた土地にいたのも、すでにもともと住んでいた土地から追い出されて流れ着いた場所だとか、事件を解決に導いた操作組織も決して先住民に対して誠実な態度ではなかったことなども説明されていて、知れば知るほど本当にしんどい現実が見てくる。

それが現在のアメリカ国家の、そしてネイティブ・アメリカンたちへの理解にも通じて非常に楽しいコンテンツです。



良かったよー。
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