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2025年12月8日 この範囲を時系列順で読む
ゲームの不便さは難易度を上げる
ゲームの不便さは難易度を上げる
人生で十何回目かのMOTHER2をプレイしています。
最近気づいたんですが、自分がプレイしている横で同じゲームの実況動画を流していると、目から入る情報と耳から入る情報がだいたい一致するので混乱しないで良いです(適当なラジオ番組を流してるだけだと、情報に齟齬がでてしまってたまに混乱する)
実況配信とそのアーカイブの問題上、だいたい見つかるものはここ数年以内に初プレイした人が中心ですが、それで遊ぶゲーム自体が20~30年前発売のものだと「当時のゲーマーには普通に受け入れられていたけど、今のゲーマーにはそうでもない」というギャップが見えてきてちょっと面白い。
例えば、「買ったアイテムを『そうび』してなくてステータスが低いままで遊んでしまう」とか「逃げるコマンドが成功しなくてその間に負ける」とか、「戦闘中にアイテムやスキルの効果がわからなくなって、勘で使って失敗する」「久しぶりに始めたら振り返り機能がなくて、次の目的地がわからない」とか。
いまのゲーム、もしくは10年前のゲームだったらもうそれらを勝手にフォローする機能は標準装備だったようなものばかりなんですが、いわれてみればこの当時はなかったな~っと思うものもしばしば。
わははと笑っちゃう一方で、よくよく考えれば見逃してると地味にゲームの難易度が上がりかねない要素だなあって。装備を忘れて低いステータスで攻略しちゃうとか、難易度に直結しちゃうもんな。
近年のゲームでも、3Dの描画能力が低い環境で遊ぶと画面酔いやすいし視界不良がおきやすいけど、描画能力が高い環境で遊ぶと酔いづらいし見通しが利くので遊びやすい、とかはよく知られているケースですよね。
当時は、などと老人ぶってますが、たぶん当時も全然そこで困っててやめちゃった人もいっぱいいるんだと思うんですよ。自分も人生の最初に触れたゲームの数本は、何日も触っていた覚えがあるけどクリアできた覚えがないです。
そういうちょっとしたつまづきを少しずつ埋めていって、今日のゲーム文化のすそ野の広さがあるんだよな~と動画を観ながら考えたりします。
(当時は当時で、その前時代よりも快適で便利になってはいて、上世代のゲーマーから「今はこんな便利な機能付いたんだ」と聞いてましたけども)
なお、MOTHER2遊んでる時のお供はこの辺です。
何回やっても新鮮に楽しいからゲームってすごいよな。
人生で十何回目かのMOTHER2をプレイしています。
最近気づいたんですが、自分がプレイしている横で同じゲームの実況動画を流していると、目から入る情報と耳から入る情報がだいたい一致するので混乱しないで良いです(適当なラジオ番組を流してるだけだと、情報に齟齬がでてしまってたまに混乱する)
実況配信とそのアーカイブの問題上、だいたい見つかるものはここ数年以内に初プレイした人が中心ですが、それで遊ぶゲーム自体が20~30年前発売のものだと「当時のゲーマーには普通に受け入れられていたけど、今のゲーマーにはそうでもない」というギャップが見えてきてちょっと面白い。
例えば、「買ったアイテムを『そうび』してなくてステータスが低いままで遊んでしまう」とか「逃げるコマンドが成功しなくてその間に負ける」とか、「戦闘中にアイテムやスキルの効果がわからなくなって、勘で使って失敗する」「久しぶりに始めたら振り返り機能がなくて、次の目的地がわからない」とか。
いまのゲーム、もしくは10年前のゲームだったらもうそれらを勝手にフォローする機能は標準装備だったようなものばかりなんですが、いわれてみればこの当時はなかったな~っと思うものもしばしば。
わははと笑っちゃう一方で、よくよく考えれば見逃してると地味にゲームの難易度が上がりかねない要素だなあって。装備を忘れて低いステータスで攻略しちゃうとか、難易度に直結しちゃうもんな。
近年のゲームでも、3Dの描画能力が低い環境で遊ぶと画面酔いやすいし視界不良がおきやすいけど、描画能力が高い環境で遊ぶと酔いづらいし見通しが利くので遊びやすい、とかはよく知られているケースですよね。
当時は、などと老人ぶってますが、たぶん当時も全然そこで困っててやめちゃった人もいっぱいいるんだと思うんですよ。自分も人生の最初に触れたゲームの数本は、何日も触っていた覚えがあるけどクリアできた覚えがないです。
そういうちょっとしたつまづきを少しずつ埋めていって、今日のゲーム文化のすそ野の広さがあるんだよな~と動画を観ながら考えたりします。
(当時は当時で、その前時代よりも快適で便利になってはいて、上世代のゲーマーから「今はこんな便利な機能付いたんだ」と聞いてましたけども)
なお、MOTHER2遊んでる時のお供はこの辺です。
何回やっても新鮮に楽しいからゲームってすごいよな。
2025年12月6日 この範囲を時系列順で読む
最近信じているもの
最近信じているもの
あかり……信じてるぜ……(敬称略)
一口食べた瞬間からめーっちゃおいしくて、次からちくわとじゃがいもは買い物の定番食材にいれます。
これも最近連日リピート作成してます。普段からくたっとした白菜煮が好きなんですが、とにかくうまみが出ていておいしい。味変でコンソメ入れたり、ひき肉やベーコン入れてもおいしい。
あかり……信じてるぜ……(敬称略)
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一口食べた瞬間からめーっちゃおいしくて、次からちくわとじゃがいもは買い物の定番食材にいれます。
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これも最近連日リピート作成してます。普段からくたっとした白菜煮が好きなんですが、とにかくうまみが出ていておいしい。味変でコンソメ入れたり、ひき肉やベーコン入れてもおいしい。
2025年12月3日 この範囲を時系列順で読む
友風子さんの水彩ワークショップに参加してきました!
友風子さんの水彩ワークショップに参加してきました!
大阪開催だったので、日曜は始発にのって石川から参加してました。楽しかった~。
友風子さんというと、自分は季刊エス を発行初年度から、スモールエスを創刊号から買っている読者なので当然のように認識しておりまして。画集「彩 irodori 」も持ってますし、友風子さんが表紙を描いているSSイラストメイキングブック は、今でも何度も参照したりと非常に参考にさせていただいております。
時折ワークショップを開いているのは存じており「いつか参加したいな~」と長年思っていたところ、今回久しぶりに開催されると知らせを聞いて「現地いったらあ!」と何年越しかに申し込んでました。
用意された線画を塗りながら進める形式のワークショップで、友風子さんの塗り方を目の前でお手本として進めてましたがどの色も淡く滑らかに彩色されていて、自分が塗ると「ほんとに同じ色かな?」と思ってしまうほど。それくらい水彩においては「どう色づけるか」が重要になるんだなと。
メイキング本などを通して大まかな技法やよく使われる色などは知っていたつもりですが、現地ではパレット上での筆遣いや水分調整など、書籍ではなかなか見ることができない部分をばっちり観察することができて非常に勉強になりました。
キャンバス上の手の動きも非常に勉強になりますが、その前段階としてパレット側で何をしているかというのも水彩では大事になってくるんですよね。色の作り方や使い分け、水分量の加減、筆さばきなど、いままでわかっていたようで理解しきれてなかった部分が細やかに観察できました。
現地では友風子さんご自身にアドバイスをいただきながら塗り進めてましたが、ご本人は非常に物腰柔らかで気さくな方で、我ながら要領を得ない質問にも非常に丁寧に答えていただけて感激するやら恐縮するやら…。
帰宅後、やり方や手順を思い返しながらもう1枚塗ってみましたが、焦ってミスしたところはカバーできたものの、なかなかあの色にならないな~。精進あるのみです。
大阪開催だったので、日曜は始発にのって石川から参加してました。楽しかった~。
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友風子さんというと、自分は季刊エス を発行初年度から、スモールエスを創刊号から買っている読者なので当然のように認識しておりまして。画集「彩 irodori 」も持ってますし、友風子さんが表紙を描いているSSイラストメイキングブック は、今でも何度も参照したりと非常に参考にさせていただいております。
時折ワークショップを開いているのは存じており「いつか参加したいな~」と長年思っていたところ、今回久しぶりに開催されると知らせを聞いて「現地いったらあ!」と何年越しかに申し込んでました。
用意された線画を塗りながら進める形式のワークショップで、友風子さんの塗り方を目の前でお手本として進めてましたがどの色も淡く滑らかに彩色されていて、自分が塗ると「ほんとに同じ色かな?」と思ってしまうほど。それくらい水彩においては「どう色づけるか」が重要になるんだなと。
メイキング本などを通して大まかな技法やよく使われる色などは知っていたつもりですが、現地ではパレット上での筆遣いや水分調整など、書籍ではなかなか見ることができない部分をばっちり観察することができて非常に勉強になりました。
キャンバス上の手の動きも非常に勉強になりますが、その前段階としてパレット側で何をしているかというのも水彩では大事になってくるんですよね。色の作り方や使い分け、水分量の加減、筆さばきなど、いままでわかっていたようで理解しきれてなかった部分が細やかに観察できました。
現地では友風子さんご自身にアドバイスをいただきながら塗り進めてましたが、ご本人は非常に物腰柔らかで気さくな方で、我ながら要領を得ない質問にも非常に丁寧に答えていただけて感激するやら恐縮するやら…。
帰宅後、やり方や手順を思い返しながらもう1枚塗ってみましたが、焦ってミスしたところはカバーできたものの、なかなかあの色にならないな~。精進あるのみです。
2025年11月29日 この範囲を時系列順で読む
映画「羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来」をみてきた
映画「羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来」をみてきた
やっと近所で封切りされた~とウキウキ見てきました。
https://luoxiaohei-movie.com/2nd/
かわいらしいルックで、ゴリゴリにわけわからんほど動くアクションが気持ちいい娯楽作ですが、内容は非常にシビア。
前作では一人で生きてきた妖精シャオヘイが、人間であり後に師匠になるムゲンと出会って成長し、やがて社会に根付く人間と妖精の軋轢を知る……というストーリーでしたが、なんと続編である本作では「今度は戦争だ」と有名なキャッチコピー通りな感じにスケールが拡大します。
本作のストーリーは、人間による妖精たちへの襲撃事件が発生し、また妖精を殺せる武器が流出。調査の結果、首謀者としてムゲンに容疑がかかり拘束される。シャオヘイとその姉弟子ルーイエは事件の真相を追う、というもの。事件を追ううちに妖精と人間間の武力衝突、つまりは戦争一歩手前まで事態が進展していきます。
前作は物語の導入が複数あり、正直中盤ほどまで「何の物語だ?」とやや混乱しやすい構造だったんですが、本作では一つの事件の真相を追う形になっていて非常に入りやすかったです。
また要所要所のアクションシーンがもうなんかわけわからんほどすごくてすごい。構図も動きもバッチバチに決まっているうえに、驚きとアイデアにあふれていて全く飽きない。これはねーほんと見てよかったね。
個人的に思うのは、なんていうかマーベル映画の良い方の作品っぽいよなと。これは前作見た時もちょっと思った。
アクションと言っても単純な殴り合いというだけではなく、「このアイテムを壊せば実質勝てるので、その攻防戦になる」とか「人命救助をしながら戦う」「拠点を守りながら戦う」「周囲を精神的に制圧するためのパフォーマンスとしての闘い」といったギミック戦が多いんですよね。シンプルな殴り合いシーンももちろんありますが、片や屋外での戦闘、片や閉鎖空間でのカメラ越しで眺める戦闘とか、毎回趣向を凝らしている。
このアイデアの凝らし方や飽きさせない工夫の持たせ方というと、やっぱりここ10年はマーベル映画がとにかく突出してすごくて、それをよく研究して昇華させている作品だなあと思います。閉鎖されているけど広い空間で戦うとか、画面の中にわかりやすい導線があるのでアクションシーンも見やすくなるといった工夫はルッソ兄弟っぽいよね。そういったハイブリットぶりが人気や興行収入にも表れていているんだろうなあと思います。
ストーリーに関しては、個人的に前作におけるシャオヘイの選択とは、作中の情報だけだと「ちょっと納得度が弱い」と感じていたんですが、今作ではそこが整理されていたなと。
前作では、作中でだされた結論に納得できたというより、「まあ、普通はそうなりますよね」とメタ的に飲み込んでるところがありまして。敵対勢力側に寄せた心を引き留める力が弱いように感じたんですよね。そもそも作品としてわかりやすい勧善懲悪ではなく、「虐げられた歴史を踏まえた今」という複雑な立場と軋轢をあぶりだす作品なので、どうしても敵対勢力側に心を寄せる力が強い。「それでもなんで?」の説得には非常にパワーが必要な題材でもあって。前作ではそこが少し弱く感じたなあと。
それで本作ですが「様々な立場の人がいて、そこは尊重しつつ、ある一線だけは守る」という形に整理されていて、そこが一番よかった。
特に「戦争忌避」の視点が非常によい。「戦争おこしてそこで全部決めたらあ!」と動く勢力に対して、戦争孤児である姉弟子ルーイエの過去や体験を通して、なぜそれを避けねばならないのかが示される構図が非常によかった。また交渉や事務方が戦争回避のために頑張ってる描写も良かったですね。
それこそ今の現実は、戦争を望んで起こしたり、起こそうとするべく分断と対立を煽る話があちこちにあるわけで。こんな世界で「なぜ戦争を起こしてはいけないのか」に真摯に向き合う物語を描いたことに、非常に価値があると思います。
テーマもシチュエーションもシリアスですが、見ている間は娯楽性にあふれて飽きさせない。本当に良い映画でした。
やっと近所で封切りされた~とウキウキ見てきました。
https://luoxiaohei-movie.com/2nd/
かわいらしいルックで、ゴリゴリにわけわからんほど動くアクションが気持ちいい娯楽作ですが、内容は非常にシビア。
前作では一人で生きてきた妖精シャオヘイが、人間であり後に師匠になるムゲンと出会って成長し、やがて社会に根付く人間と妖精の軋轢を知る……というストーリーでしたが、なんと続編である本作では「今度は戦争だ」と有名なキャッチコピー通りな感じにスケールが拡大します。
本作のストーリーは、人間による妖精たちへの襲撃事件が発生し、また妖精を殺せる武器が流出。調査の結果、首謀者としてムゲンに容疑がかかり拘束される。シャオヘイとその姉弟子ルーイエは事件の真相を追う、というもの。事件を追ううちに妖精と人間間の武力衝突、つまりは戦争一歩手前まで事態が進展していきます。
前作は物語の導入が複数あり、正直中盤ほどまで「何の物語だ?」とやや混乱しやすい構造だったんですが、本作では一つの事件の真相を追う形になっていて非常に入りやすかったです。
また要所要所のアクションシーンがもうなんかわけわからんほどすごくてすごい。構図も動きもバッチバチに決まっているうえに、驚きとアイデアにあふれていて全く飽きない。これはねーほんと見てよかったね。
個人的に思うのは、なんていうかマーベル映画の良い方の作品っぽいよなと。これは前作見た時もちょっと思った。
アクションと言っても単純な殴り合いというだけではなく、「このアイテムを壊せば実質勝てるので、その攻防戦になる」とか「人命救助をしながら戦う」「拠点を守りながら戦う」「周囲を精神的に制圧するためのパフォーマンスとしての闘い」といったギミック戦が多いんですよね。シンプルな殴り合いシーンももちろんありますが、片や屋外での戦闘、片や閉鎖空間でのカメラ越しで眺める戦闘とか、毎回趣向を凝らしている。
このアイデアの凝らし方や飽きさせない工夫の持たせ方というと、やっぱりここ10年はマーベル映画がとにかく突出してすごくて、それをよく研究して昇華させている作品だなあと思います。閉鎖されているけど広い空間で戦うとか、画面の中にわかりやすい導線があるのでアクションシーンも見やすくなるといった工夫はルッソ兄弟っぽいよね。そういったハイブリットぶりが人気や興行収入にも表れていているんだろうなあと思います。
ストーリーに関しては、個人的に前作におけるシャオヘイの選択とは、作中の情報だけだと「ちょっと納得度が弱い」と感じていたんですが、今作ではそこが整理されていたなと。
前作では、作中でだされた結論に納得できたというより、「まあ、普通はそうなりますよね」とメタ的に飲み込んでるところがありまして。敵対勢力側に寄せた心を引き留める力が弱いように感じたんですよね。そもそも作品としてわかりやすい勧善懲悪ではなく、「虐げられた歴史を踏まえた今」という複雑な立場と軋轢をあぶりだす作品なので、どうしても敵対勢力側に心を寄せる力が強い。「それでもなんで?」の説得には非常にパワーが必要な題材でもあって。前作ではそこが少し弱く感じたなあと。
それで本作ですが「様々な立場の人がいて、そこは尊重しつつ、ある一線だけは守る」という形に整理されていて、そこが一番よかった。
特に「戦争忌避」の視点が非常によい。「戦争おこしてそこで全部決めたらあ!」と動く勢力に対して、戦争孤児である姉弟子ルーイエの過去や体験を通して、なぜそれを避けねばならないのかが示される構図が非常によかった。また交渉や事務方が戦争回避のために頑張ってる描写も良かったですね。
それこそ今の現実は、戦争を望んで起こしたり、起こそうとするべく分断と対立を煽る話があちこちにあるわけで。こんな世界で「なぜ戦争を起こしてはいけないのか」に真摯に向き合う物語を描いたことに、非常に価値があると思います。
テーマもシチュエーションもシリアスですが、見ている間は娯楽性にあふれて飽きさせない。本当に良い映画でした。
2025年11月24日 この範囲を時系列順で読む
映画「爆弾」をみてきたよ
映画「爆弾」をみてきたよ
いきなり別作品の話で申し訳ないんだが、漫画「ひとりでしにたい」の中のこの一節を紹介します。
これは作中で主人公の両親に介護の必要が発生したとき、やりたくない、できれば回避したいと本音では考えているんだけども、「ほかに大人がいても、女性である自分がやらなきゃいけないと動き出してしまうよう刷り込まれている」とぼやいている時の会話の一つです。女性である自分はこういう考えが根付いてしまっているけど、男性は男性でこう思ってるのかもね、という話ですね。
この回、ある世代以上の女性とは、仮に本人は自立していても「男が働き、女が家事をする」という両親像をみて育っているので、どこかでそういう女性像は刷り込まれているし、同じように刷り込まれている周囲の上の世代(特に男性)とそこで争うのはしんどい、という生活や社会にしみついたジェンダー論に踏み込んだ回でした。
さらに思い出すのは、「ひとりでしにたい」のとある回では、昭和の価値観ゴリゴリに根付いた還暦越えの父親が「母が倒れても、自分が母を看病したり、代わりに家事くらい受け持つという発想がない」ということに気づき、主人公がどうにか父に生活力を持たせようとあれこれ策をめぐらしても一蹴されてしまう。なのに、平成生まれの弟から「自分には専業主婦の妻がいるけど、妻が病気で倒れたら看病するし、今どきそれくらいしない男は他の男に馬鹿にされる」といわれて少しだけ父が考え直す、という話がありまして。
それをみた主人公は、女の自分が行っても聞く耳を持たないのに男である弟が「そんなことすれば、ほかの男からもバカにされる」と説明したとたんに父が説明を飲み込んだ様子を見て、「男男男 女がどこにもおらんな父の世界には」とあきらめた調子でナレーションします。
鑑賞中からふいにこれらのエピソードが浮かんだので、自分にとっての「爆弾」という映画とは、この「ひとりでしにたいの主人公からみた、父親や弟たちの世界」くらいの距離感だったのかも。
https://wwws.warnerbros.co.jp/bakudan-mo...
ちゃんと映画の話に戻すと、軽犯罪で捕まり事情聴取を受けていた身元不明の謎の男が、ふいに無差別爆弾事件を示唆したところ、実際に事件が起きてしまい……というサスペンススリラー映画です。
いわゆる密室劇、狭い取調室で登場人物らが会話だけで情報を引き出し続けるパートと、都内各地に隠された爆弾を探し出し、さらにはこの身元不明の男の正体を突き止めていくパートに分かれます。密室劇パートでは手練れの役者たちによる会話劇が、外部捜査パートでは大規模なロケを多用した迫力ある映像が続き、画面もリッチだし終始緊張感があって楽しい映画でした。
テーマやメッセージ性は現代的で、一昔前まで「無敵の人」は20代前後の若者として描かれることがほとんどでしたが(キレる17歳、なんて流行語もありました)、いまではすっかりその役は中年に移り、上の世代からも下の世代から疎ましく思われている。どうすればよかったんだろうな、と考えない日はない。
困った他者に手を握られたときに「頼られている」ではなく「利用されている」と思ってしまうのは、時代のせいか、それともそう思えない自分が悪いのか?
そういったことは割と自分にも刺さってとてもつらいのだけど、それはそれとして語っている語り口には、なんていうか、昔の2ちゃんねる見ているような気持ちになったのも事実で。
掲示板という同じフォーマット上で、同じ話題に対していろんな人が口々にしゃべってると思っていたら、「ここに女いる?」といわれて「あれ?ここって男性前提の場所だったか?」と急に自分の性別を想起させられる。とある友人は、在日コリアンや外国人への蔑称がカジュアルに飛び出してきて、在日三世の自分はここにいられないと思ったそうで。立場も何もかもフラットな場に見えて、実は「この身分でないやつはここにいない」と強固な共通意識が横たわっていて、ふとした時にそれがむき出し、自分たちは弾かれ、特定の身分の人間だけで固まっていくようなあの感じ。
メインの登場人物に女性も何人かいますが、周囲の男性たちには向けられない下卑た性的侮蔑を投げかけられたり、悲劇性のスイッチになっていたり。前述の「ひとりでしにたい」の説明にのっとるなら、「父親や弟たちの世界からみた女性はこうなのかな」という存在感に思えました。
登場人物が主に男性しかいないから女性の居場所がないとか、そういう単純な話とも思っていませんが、でもこの映画はかなり意図して「そういう世界だから描けること」を志向しているのはわかるよ。
もしかすればそういう世界観とは、冒頭で引用した言葉が指すように「石が落ちてきたら俺がどかさないといけない」「そうしないと落ち着かないよう刷り込まれている」でも実際には「そんなことしたくない」の狭間に生まれてる悲鳴なのかなと、時々思う時がある。
最終的に思い浮かんでいたのはそういうなにかだったので、ここに書いときます。
いきなり別作品の話で申し訳ないんだが、漫画「ひとりでしにたい」の中のこの一節を紹介します。
男も でかい岩が道ふさいでいる時 「俺がどかさなきゃ」って女にはわからない圧感じてるのかもね
これは作中で主人公の両親に介護の必要が発生したとき、やりたくない、できれば回避したいと本音では考えているんだけども、「ほかに大人がいても、女性である自分がやらなきゃいけないと動き出してしまうよう刷り込まれている」とぼやいている時の会話の一つです。女性である自分はこういう考えが根付いてしまっているけど、男性は男性でこう思ってるのかもね、という話ですね。
この回、ある世代以上の女性とは、仮に本人は自立していても「男が働き、女が家事をする」という両親像をみて育っているので、どこかでそういう女性像は刷り込まれているし、同じように刷り込まれている周囲の上の世代(特に男性)とそこで争うのはしんどい、という生活や社会にしみついたジェンダー論に踏み込んだ回でした。
さらに思い出すのは、「ひとりでしにたい」のとある回では、昭和の価値観ゴリゴリに根付いた還暦越えの父親が「母が倒れても、自分が母を看病したり、代わりに家事くらい受け持つという発想がない」ということに気づき、主人公がどうにか父に生活力を持たせようとあれこれ策をめぐらしても一蹴されてしまう。なのに、平成生まれの弟から「自分には専業主婦の妻がいるけど、妻が病気で倒れたら看病するし、今どきそれくらいしない男は他の男に馬鹿にされる」といわれて少しだけ父が考え直す、という話がありまして。
それをみた主人公は、女の自分が行っても聞く耳を持たないのに男である弟が「そんなことすれば、ほかの男からもバカにされる」と説明したとたんに父が説明を飲み込んだ様子を見て、「男男男 女がどこにもおらんな父の世界には」とあきらめた調子でナレーションします。
鑑賞中からふいにこれらのエピソードが浮かんだので、自分にとっての「爆弾」という映画とは、この「ひとりでしにたいの主人公からみた、父親や弟たちの世界」くらいの距離感だったのかも。
https://wwws.warnerbros.co.jp/bakudan-mo...
ちゃんと映画の話に戻すと、軽犯罪で捕まり事情聴取を受けていた身元不明の謎の男が、ふいに無差別爆弾事件を示唆したところ、実際に事件が起きてしまい……というサスペンススリラー映画です。
いわゆる密室劇、狭い取調室で登場人物らが会話だけで情報を引き出し続けるパートと、都内各地に隠された爆弾を探し出し、さらにはこの身元不明の男の正体を突き止めていくパートに分かれます。密室劇パートでは手練れの役者たちによる会話劇が、外部捜査パートでは大規模なロケを多用した迫力ある映像が続き、画面もリッチだし終始緊張感があって楽しい映画でした。
テーマやメッセージ性は現代的で、一昔前まで「無敵の人」は20代前後の若者として描かれることがほとんどでしたが(キレる17歳、なんて流行語もありました)、いまではすっかりその役は中年に移り、上の世代からも下の世代から疎ましく思われている。どうすればよかったんだろうな、と考えない日はない。
困った他者に手を握られたときに「頼られている」ではなく「利用されている」と思ってしまうのは、時代のせいか、それともそう思えない自分が悪いのか?
そういったことは割と自分にも刺さってとてもつらいのだけど、それはそれとして語っている語り口には、なんていうか、昔の2ちゃんねる見ているような気持ちになったのも事実で。
掲示板という同じフォーマット上で、同じ話題に対していろんな人が口々にしゃべってると思っていたら、「ここに女いる?」といわれて「あれ?ここって男性前提の場所だったか?」と急に自分の性別を想起させられる。とある友人は、在日コリアンや外国人への蔑称がカジュアルに飛び出してきて、在日三世の自分はここにいられないと思ったそうで。立場も何もかもフラットな場に見えて、実は「この身分でないやつはここにいない」と強固な共通意識が横たわっていて、ふとした時にそれがむき出し、自分たちは弾かれ、特定の身分の人間だけで固まっていくようなあの感じ。
メインの登場人物に女性も何人かいますが、周囲の男性たちには向けられない下卑た性的侮蔑を投げかけられたり、悲劇性のスイッチになっていたり。前述の「ひとりでしにたい」の説明にのっとるなら、「父親や弟たちの世界からみた女性はこうなのかな」という存在感に思えました。
登場人物が主に男性しかいないから女性の居場所がないとか、そういう単純な話とも思っていませんが、でもこの映画はかなり意図して「そういう世界だから描けること」を志向しているのはわかるよ。
もしかすればそういう世界観とは、冒頭で引用した言葉が指すように「石が落ちてきたら俺がどかさないといけない」「そうしないと落ち着かないよう刷り込まれている」でも実際には「そんなことしたくない」の狭間に生まれてる悲鳴なのかなと、時々思う時がある。
最終的に思い浮かんでいたのはそういうなにかだったので、ここに書いときます。
2025年11月23日 この範囲を時系列順で読む
映画「果てしなきスカーレット」をみてきたよ
映画「果てしなきスカーレット」をみてきたよ
「は」てしなきすかー「れっと」⇒「ハムレット」ってこと!? と鑑賞後に気づき、どーしても人に言いたくなったのでいま緊急でこれ書いています。ついでに感想も書きます。
https://scarlet-movie.jp/
父を殺され復讐鬼と化した主人公スカーレットが、仇である叔父から返り討ちにあってなお、それでもまだ復讐を遂げたい一心で「死者の国」を駆け巡るというストーリー。
Jin Kimさんデザインの、ディズニーアニメだったら「生命力」の証であろう力強いキラキラした目の女性が、眼光鋭くギラついた目つきになり、ほつれた髪に煤けた真っ黒な顔で荒野を駆け巡る予告編をみて「みたーい」と思ってすぐさまみてきました。このデザインと世界観だけで割ともう元は取ったなあと思っています。
シェイクスピアの「ハムレット」をベースに血と泥にまみれた時代劇かつ復讐劇なので、画面は暗く、おどろおどろしい描写も多い。あと展開が舞台や時代劇特有のノリというか端折り方をよくするので、飲み込みやすい展開を期待すると辛いかも。小さいお子さんと一緒に見るには難しいだろうな。
とはいえ、メッセージ自体は「死がすぐそこにある世界の中でも、善く生きたい」をシンプルにつきつけてくる。それはもう直球でつきつけてくる。
重厚感のあるルックに、細田監督が得意とするエモーショナルな心理描写、びっくりするほどまっすぐなストーリーテリングに、画面をみていて飽きることはないんですが、常にもう一フックほしいという気持ちもちょっとある。
なんというか、セリフ量のわりに展開に予備動作が少なすぎて、話の起伏が大きくなりすぎにすーっと流れすぎちゃうというか。個々のエピソードもパンチ力が弱く思えて、結果クライマックスの起伏も気持ちが上がりきらないところがある。
復讐心にかられて獣のように生きてきたスカーレットが、死者の国に降り立ち、時空も文化も超えて集まる死者たちとの交流を通して、人間性を獲得していく……それはわかる。鑑賞後に振り返ってみたけれど、説明不足や展開不足とも違う気がして。
語るべきことは語っているし、この展開でやるべき展開はちゃんと踏んでいる。内容に不足があったとも思わないんですよね。
ただ、昔「おおかみこどもの雨と雪」が封切りされたころ、ある知人が「脚本上にのちの展開を見据えた前振りが少なくて、各エピソードの落ちが弱く感じる」と評していましたのを思い出しました。
ちなみに、別の知人はそれを受けて「それをすればより脚本を『丸く』できるだろうけど、やらないこと選んでる人だと思う」とも評してて、どちらの意見にも強い納得があってよく覚えています。
そういう作劇上のフックを増やすと、より感情的に盛り上げたり、説明がわかりやすくなったりするけども、そこの風通りの良さは求めてない気がするんですよね。
世間的には「家族で楽しく見れる作家性」のように受け取られているけれど、実際のところアーティスティックで少し突き放した世界観だけど、それでも強く魅せることに長けている作家性だよねえと。近年はその傾向がより強かったですが、今作ではそれがよりむき出しできたのかなと。
あと、細田監督恒例の「今が旬の男性俳優にこういう役やらせたーーーーい!!!!」もしっかり浴びれたのでよかったです。岡田将生にこういう役やってほしいよね~~~わかる~~~ってなった。
自分は世間で言われるほど「女性に魅力がない」とは思わないというか、「こういう男を生かすには、こういう人間がそばいるといい」と理解したうえで描いてる人だと思うので、女性キャラも十分に描いている人に思える。作品によっては「そのポジションは別にいつも女性とは限らない」はあるけども、配置する以上は魅力的に描いている人だよなと思っています。
むしろ「魅力的な男性キャラ」とは「魅力」が前に出すぎて案外と内面的に掘り下げられてない、物語の駆動のためにいるキャラになりがち……ということも、本作を見ていて感じたところです。
思うところはいっぱいあるんですが、主人公スカーレットが赤い髪をなびかせて、煤けた荒野で、雷降りしきる曇天の下で、鋭くとがった雪山で、復讐の炎を胸に、時空を超えた人々が集まる死者の国で、何を得るのか。
本作は、ある側面では主人公の内面的葛藤、一人芝居だったとも取れる内容だし、それでなくとも死者の国というシステムがtheファンタジー空間なわけで。客観的な筋道の整理は意図して省いてるんじゃあないかと思います。
どんだけ自分が苦しんで、葛藤しても、生涯の目標なんて自分と関係なく無くなってしまうことがある。じゃあ自分はどうすればいいのか。
生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。
ハムレットでは「復讐を遂げるべきか」という文脈で語られた言葉が、果てしなきスカーレットではどう使われているのか、という点は非常に興味深く思えました。
その世界観だけでかなりぐっと引き込まれたので自分は満足でした。
「は」てしなきすかー「れっと」⇒「ハムレット」ってこと!? と鑑賞後に気づき、どーしても人に言いたくなったのでいま緊急でこれ書いています。ついでに感想も書きます。
https://scarlet-movie.jp/
父を殺され復讐鬼と化した主人公スカーレットが、仇である叔父から返り討ちにあってなお、それでもまだ復讐を遂げたい一心で「死者の国」を駆け巡るというストーリー。
Jin Kimさんデザインの、ディズニーアニメだったら「生命力」の証であろう力強いキラキラした目の女性が、眼光鋭くギラついた目つきになり、ほつれた髪に煤けた真っ黒な顔で荒野を駆け巡る予告編をみて「みたーい」と思ってすぐさまみてきました。このデザインと世界観だけで割ともう元は取ったなあと思っています。
シェイクスピアの「ハムレット」をベースに血と泥にまみれた時代劇かつ復讐劇なので、画面は暗く、おどろおどろしい描写も多い。あと展開が舞台や時代劇特有のノリというか端折り方をよくするので、飲み込みやすい展開を期待すると辛いかも。小さいお子さんと一緒に見るには難しいだろうな。
とはいえ、メッセージ自体は「死がすぐそこにある世界の中でも、善く生きたい」をシンプルにつきつけてくる。それはもう直球でつきつけてくる。
重厚感のあるルックに、細田監督が得意とするエモーショナルな心理描写、びっくりするほどまっすぐなストーリーテリングに、画面をみていて飽きることはないんですが、常にもう一フックほしいという気持ちもちょっとある。
なんというか、セリフ量のわりに展開に予備動作が少なすぎて、話の起伏が大きくなりすぎにすーっと流れすぎちゃうというか。個々のエピソードもパンチ力が弱く思えて、結果クライマックスの起伏も気持ちが上がりきらないところがある。
復讐心にかられて獣のように生きてきたスカーレットが、死者の国に降り立ち、時空も文化も超えて集まる死者たちとの交流を通して、人間性を獲得していく……それはわかる。鑑賞後に振り返ってみたけれど、説明不足や展開不足とも違う気がして。
語るべきことは語っているし、この展開でやるべき展開はちゃんと踏んでいる。内容に不足があったとも思わないんですよね。
ただ、昔「おおかみこどもの雨と雪」が封切りされたころ、ある知人が「脚本上にのちの展開を見据えた前振りが少なくて、各エピソードの落ちが弱く感じる」と評していましたのを思い出しました。
ちなみに、別の知人はそれを受けて「それをすればより脚本を『丸く』できるだろうけど、やらないこと選んでる人だと思う」とも評してて、どちらの意見にも強い納得があってよく覚えています。
そういう作劇上のフックを増やすと、より感情的に盛り上げたり、説明がわかりやすくなったりするけども、そこの風通りの良さは求めてない気がするんですよね。
世間的には「家族で楽しく見れる作家性」のように受け取られているけれど、実際のところアーティスティックで少し突き放した世界観だけど、それでも強く魅せることに長けている作家性だよねえと。近年はその傾向がより強かったですが、今作ではそれがよりむき出しできたのかなと。
あと、細田監督恒例の「今が旬の男性俳優にこういう役やらせたーーーーい!!!!」もしっかり浴びれたのでよかったです。岡田将生にこういう役やってほしいよね~~~わかる~~~ってなった。
自分は世間で言われるほど「女性に魅力がない」とは思わないというか、「こういう男を生かすには、こういう人間がそばいるといい」と理解したうえで描いてる人だと思うので、女性キャラも十分に描いている人に思える。作品によっては「そのポジションは別にいつも女性とは限らない」はあるけども、配置する以上は魅力的に描いている人だよなと思っています。
むしろ「魅力的な男性キャラ」とは「魅力」が前に出すぎて案外と内面的に掘り下げられてない、物語の駆動のためにいるキャラになりがち……ということも、本作を見ていて感じたところです。
思うところはいっぱいあるんですが、主人公スカーレットが赤い髪をなびかせて、煤けた荒野で、雷降りしきる曇天の下で、鋭くとがった雪山で、復讐の炎を胸に、時空を超えた人々が集まる死者の国で、何を得るのか。
本作は、ある側面では主人公の内面的葛藤、一人芝居だったとも取れる内容だし、それでなくとも死者の国というシステムがtheファンタジー空間なわけで。客観的な筋道の整理は意図して省いてるんじゃあないかと思います。
どんだけ自分が苦しんで、葛藤しても、生涯の目標なんて自分と関係なく無くなってしまうことがある。じゃあ自分はどうすればいいのか。
生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。
ハムレットでは「復讐を遂げるべきか」という文脈で語られた言葉が、果てしなきスカーレットではどう使われているのか、という点は非常に興味深く思えました。
その世界観だけでかなりぐっと引き込まれたので自分は満足でした。
2025年11月17日 この範囲を時系列順で読む
たいら恋太さんの、漫画描き特化の手帳動画を見ているよって話
たいら恋太さんの、漫画描き特化の手帳動画を見ているよって話
気が付いたら動画ぜんぶ見てた。
一番バズってる動画は↑ですが、個人的には次の動画の方が好きかもしれない。
「こういう使い方をやってみたいな」がいっぱいあって、ノートも手帳もいっぱい持ってるんだけど、それをしっかり当てはめるのは大変で、自分もあーでもないこーでもないとこの時期は頭悩ませてるので、動画の中身に非常~に共感できました。
あと、漫画という「割と厄介な工程を踏むコンテンツの生成過程を管理したい」けど、実際にはすごくすごく難しいよね……とも、しみじみ考えてしまう。
こちらの動画を参考にしながら、自分なりに管理術を構築できていけたらいいな~って思います。
気が付いたら動画ぜんぶ見てた。
一番バズってる動画は↑ですが、個人的には次の動画の方が好きかもしれない。
「こういう使い方をやってみたいな」がいっぱいあって、ノートも手帳もいっぱい持ってるんだけど、それをしっかり当てはめるのは大変で、自分もあーでもないこーでもないとこの時期は頭悩ませてるので、動画の中身に非常~に共感できました。
あと、漫画という「割と厄介な工程を踏むコンテンツの生成過程を管理したい」けど、実際にはすごくすごく難しいよね……とも、しみじみ考えてしまう。
こちらの動画を参考にしながら、自分なりに管理術を構築できていけたらいいな~って思います。
2025年11月16日 この範囲を時系列順で読む
ハビットトラッカーはカレンダーに書けばいいと気づいた
ハビットトラッカーはカレンダーに書けばいいと気づいた
なんで気づかなかったのか……。
ハビットトラッカーというのは「やりたいタスクを実行した日にマークを付けて、記録することで習慣づけていく」という記述法・ツールの一種です。夏休みのラジオ体操のスタンプみたいなもん。
よく手帳術やタスク管理術として紹介されるので、自分も手帳の1ページに記入していたんですが、まーこれが続かない。記録も続かないし、習慣も続かない。どっちもダメだった。
なんで続かないんだろうなと分析してみると、まず、自分の場合はなにかを続けていく上で「前回いつやったか」がわかると、仮に習慣が途切れることがあっても「こんなに間が空いてるからまたやろう」という気分になってスッと再開できる。じゃあハビットトラッカーというツール自体との相性は、たぶんいいと思う。
なのになぜ続かなくなるのかなと思うと、ハビットトラッカーを手帳の1ページにしてしまうと視界から消えてわすれちゃうらしい。手帳は日常的に使っているものの、普段主に使うページだけ開きっぱなしであちこち行き来することがほとんどないので、みないページにハビットトラッカーを置いとくと徐々に忘れていってしまう。
……という考えに行きついた結果、「いつも見えるところにハビットトラッカーを置こう」「カレンダーをハビットトラッカーにすればいいのでは」と思い付き、これが今とてもいい感じです。
元々壁掛けカレンダーは使っていたので、とりあえずタスク実行した日にマークをつけてハビットトラッカーとして使ってみたら、狙い通りいい感じに続けられました。ただ、もともとカレンダーに書いてた予定の書き込みと混ざって見えづらくなったので分離することに。
https://st-calendar.com/
分離用としてまずはこちらで配布中のカレンダーを印刷して使ってみましたが、これがとてもよかった~。どの月からでもいろんなレイアウトでも使えるので、一番相性のいい形は何だろうと試行錯誤ができてとてもよいです。
個人的にはハビットトラッカーとして使うなら、よくあるブロック型よりも1日1行型が良いらしい。記入欄が広くてちょっとしたメモも書けます。
使い始めて数か月くらいでこれは続けられるな~と思い、さらに時節も重なったので、ハビットトラッカー用に同じようなレイアウトのカレンダーを1つ追加で買いました。続くといいな~。
来年がんばるぞい。
なんで気づかなかったのか……。
ハビットトラッカーというのは「やりたいタスクを実行した日にマークを付けて、記録することで習慣づけていく」という記述法・ツールの一種です。夏休みのラジオ体操のスタンプみたいなもん。
よく手帳術やタスク管理術として紹介されるので、自分も手帳の1ページに記入していたんですが、まーこれが続かない。記録も続かないし、習慣も続かない。どっちもダメだった。
なんで続かないんだろうなと分析してみると、まず、自分の場合はなにかを続けていく上で「前回いつやったか」がわかると、仮に習慣が途切れることがあっても「こんなに間が空いてるからまたやろう」という気分になってスッと再開できる。じゃあハビットトラッカーというツール自体との相性は、たぶんいいと思う。
なのになぜ続かなくなるのかなと思うと、ハビットトラッカーを手帳の1ページにしてしまうと視界から消えてわすれちゃうらしい。手帳は日常的に使っているものの、普段主に使うページだけ開きっぱなしであちこち行き来することがほとんどないので、みないページにハビットトラッカーを置いとくと徐々に忘れていってしまう。
……という考えに行きついた結果、「いつも見えるところにハビットトラッカーを置こう」「カレンダーをハビットトラッカーにすればいいのでは」と思い付き、これが今とてもいい感じです。
元々壁掛けカレンダーは使っていたので、とりあえずタスク実行した日にマークをつけてハビットトラッカーとして使ってみたら、狙い通りいい感じに続けられました。ただ、もともとカレンダーに書いてた予定の書き込みと混ざって見えづらくなったので分離することに。
https://st-calendar.com/
分離用としてまずはこちらで配布中のカレンダーを印刷して使ってみましたが、これがとてもよかった~。どの月からでもいろんなレイアウトでも使えるので、一番相性のいい形は何だろうと試行錯誤ができてとてもよいです。
個人的にはハビットトラッカーとして使うなら、よくあるブロック型よりも1日1行型が良いらしい。記入欄が広くてちょっとしたメモも書けます。
使い始めて数か月くらいでこれは続けられるな~と思い、さらに時節も重なったので、ハビットトラッカー用に同じようなレイアウトのカレンダーを1つ追加で買いました。続くといいな~。
来年がんばるぞい。
2025年11月12日 この範囲を時系列順で読む
あのどこ更新しました in スパーク2日目
あのどこ更新しました in スパーク2日目
更新わよ
https://anodoko.net/blog/

前回の! グラフに! 2019年がなかった!! ので追加しました。
ただ2019年スパーク、なかなか難しいイベントで……当初は2日連続開催予定が、1日目が台風の接近によりイベント直前に中止し、2日目開催。代替イベントとして1か月ほど置いて新設された3日目が開催されてます。スペース数は確定していたので1日目もカウントできますが、しかし実際には開催されなかったイベントをカウントしちゃうのはなとか、急遽追加された3日目はどう扱えばいいんだろうなとか。今回は開催実績があるという意味で2日目と3日目の合算値としています。
グラフ出すたびに注釈追加するのはさすがに大変なので、どうしたものかと結構迷います。
ただ、今年のスパークは2日予定&日程がかなり開いての開催しているので、とりあえず「同じ名義なら多少期間が開いてても一緒にしてよし」ということにしときます。
そう、1か月以上空いてるんですよね。なのでおそらく両イベントにジャンル変えて参加しているサークルも多いだろうから、規模としては前年と単純比較は難しい……という別問題もでてきて頭抱える。
今回のスパークでは主にゲームや映画、映像作品が中心のジャンルで固まってます。
特にゲーム、アプリゲームの傾向として「とにかくたくさんのキャラクターやカップリングにサークルが集まっており、ジャンルの全体規模は大きいのに、カップリング単位になると突出したものがなくなる」というものがあります。また結果として「ジャンル内で一番多いのはオールジャンル配置のサークル」もよくある。
一方で、アニメや漫画ジャンルだと、ここまでキャラクターが多いわけではないので、中心になるようなキャラ・カップリング2~3個にサークルが集中しやすく、ジャンルの全体規模ではそこそこでも、カップリング単位でみると大きなものがでやすい傾向を感じています。あとは「オールジャンル」がかなり小さくなりがち。
以上はあくまで一例ですが、原作のキャラクター構成とサークル分布は、同人イベント人気を見ていくうえでも重要な要素に思っているので、もうちょっとデータ揃えて記事にしたい気持ちもある。でもそれ以上にやるべき記事がまだいっぱいある。
この運営日記、来年からはこちらのnoteに移動する予定です。
https://note.com/anodoko
まだ何もありませんが、来月下旬くらいに所信表明を書こうかなと。ご興味ある方は今のうちにフォローお願いいたします。
#あのアレどこ
更新わよ
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前回の! グラフに! 2019年がなかった!! ので追加しました。
ただ2019年スパーク、なかなか難しいイベントで……当初は2日連続開催予定が、1日目が台風の接近によりイベント直前に中止し、2日目開催。代替イベントとして1か月ほど置いて新設された3日目が開催されてます。スペース数は確定していたので1日目もカウントできますが、しかし実際には開催されなかったイベントをカウントしちゃうのはなとか、急遽追加された3日目はどう扱えばいいんだろうなとか。今回は開催実績があるという意味で2日目と3日目の合算値としています。
グラフ出すたびに注釈追加するのはさすがに大変なので、どうしたものかと結構迷います。
ただ、今年のスパークは2日予定&日程がかなり開いての開催しているので、とりあえず「同じ名義なら多少期間が開いてても一緒にしてよし」ということにしときます。
そう、1か月以上空いてるんですよね。なのでおそらく両イベントにジャンル変えて参加しているサークルも多いだろうから、規模としては前年と単純比較は難しい……という別問題もでてきて頭抱える。
今回のスパークでは主にゲームや映画、映像作品が中心のジャンルで固まってます。
特にゲーム、アプリゲームの傾向として「とにかくたくさんのキャラクターやカップリングにサークルが集まっており、ジャンルの全体規模は大きいのに、カップリング単位になると突出したものがなくなる」というものがあります。また結果として「ジャンル内で一番多いのはオールジャンル配置のサークル」もよくある。
一方で、アニメや漫画ジャンルだと、ここまでキャラクターが多いわけではないので、中心になるようなキャラ・カップリング2~3個にサークルが集中しやすく、ジャンルの全体規模ではそこそこでも、カップリング単位でみると大きなものがでやすい傾向を感じています。あとは「オールジャンル」がかなり小さくなりがち。
以上はあくまで一例ですが、原作のキャラクター構成とサークル分布は、同人イベント人気を見ていくうえでも重要な要素に思っているので、もうちょっとデータ揃えて記事にしたい気持ちもある。でもそれ以上にやるべき記事がまだいっぱいある。
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#同人活動